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冷泉彰彦 プリンストン発 日本/アメリカ 新時代
オスカーと『英国王』に見る世代交代のダイナミズム
「これが僕のキャリアの絶頂だったりして・・・(笑)」で始まる受賞スピーチは、正にコリン・ファース一流の「含羞に包まれた中の芯の強さ」というお人柄がにじみ出ていて素晴らしいものでした。そのファースの受賞作は『ザ・キングズ・スピーチ』(邦題は「英国王のスピーチ」)であり、結局は作品賞も取ったのですが、この作品をさておいて今回のオスカー全体に流れていたのは「世代交代の波」だったように思います。団塊2世とそれ以下を総称する「ジェネレーションY」が華やかな授賞式を乗っ取ったような趣向、それはアメリカが内需外需の1つの柱に位置づける「エンタメ産業」がこの世代の分厚い人口をマーケットとして意識していることの裏返しだと思います。
世代交代のメッセージはまず司会の人選に現れていました。アイドルのイメージを打ち破る仕事を次々に成功させて、大女優の貫禄すら漂うアン・ハサウェイと、悪役や陰影の濃い役をこなしながら2枚目にして性格俳優というポジションを掴みつつあるジェイムズ・フランコという「司会コンビ」は、発表されたときこそ「冒険では?」とか「ギャラを抑えるため?」という印象を与えたのも事実です。ですが、ショーが進むにつれて、違和感どころか、ピッタリはまった感じが出来てきたのには驚きました。大女優といえば、主演女優賞のナタリー・ポートマンも正に「Y」のシンボルのような存在ですし、候補になったミッシェル・ウィリアムスなども年々存在感を増しているように思います。
ここ数年は緊縮予算で舞台装置やオープニングのビデオなどは地味だったのですが、今回は全て元に戻っており華やかなステージになりました。オープニングのビデオは、司会の2人を主役にして「夢のなかの夢」を旅歩くという『インセプション』のパロディが、そのまま作品賞候補の各作品の紹介になるという凝った趣向で、その演出スタイルも「ジェネレーションY」向けという味付けが顕著です。そのパロディ・ビデオですが、ジェシー・アイゼンバーグ演じるマーク・ザッカーバーグが会議室のシーンで悪態をつくと、司会の2人が「これでフェイスブックのお客が2人減ってもいいのかな?」と切り返すあたり、なかなかよく出来ていたと思います。
その『ソーシャル・ネットワーク』については、作品賞へ向けて猛追しているという下馬評もあったのですが、結局栄冠は『ザ・キングズ・スピーチ』に行きました。では、この最後の選択は「世代間のバランスを取った」と見るべきなのでしょうか? どうも違うようなのです。この『ザ・キングズ・スピーチ』にも、世代交代へのメッセージは確実に込められているように思います。まず何と言っても、監督のトム・ホッパーです。1972年生まれで「Y」世代よりは少し上ですが、弱干38歳で最優秀監督賞というのは立派です。アメリカでは、米国HBO制作の合衆国第二代大統領を描いた『ジョン・アダムス』を監督して有名になった人ですが、幾何学的な構図で心理劇を表現したり、デジタル処理で王宮や下町の空気感をうまく表現したり、演出の手腕はなかなかでした。
しかし、何と言ってもこの『ザ・キングズ・スピーチ』の魅力は演技陣でしょう。思いがけない兄の退位という事態から、国王として第二次大戦に立ち向かわなくてはならなかった英国王ジョージ6世は、何とも難しい役ですが、コリン・ファースは見事でした。喜怒哀楽の多彩な表情も、重たい宿命を負わせられた人間の覚悟にしても、単にセリフだけでなく、表情から所作に至るまであらゆる技術を駆使して立体的な人物像を描くことに成功しています。吃音症を克服したというエピソードが確かに映画の主題であり、言語聴覚士を演じたジェフリー・ラッシュも立派でしたが、何と言ってもファースの演技技術が光っていました。その背後には、王室というものを過度に神格化することも、過度に批判の対象にするのでもない、良くも悪くも等身大の存在として描こうというホッパー監督のスタイルがあり、それがファースの熱演を引き出しているように思われました。
それにしても、コリン・ファースが国王役をやるというのには驚きましたし、王妃役を演じたヘレナ・ボナム・カーターにしても昔はともかく今は「一クセも二クセもある」役者さんで、それが「ベタな王室もの」を大真面目でやるというのには意外感があります。しかも数年前の『ザ・クイーン』とは違ってほぼ100%王室賛美、しかも現在のエリザベス2世の父君であるジョージ6世が主役で、少女時代の女王も登場するというのは、私のようにあれこれ推測するのが好きな人間には、どうも納得ができなかったのです。国王が吃音症に悩むような人間的な部分を見せる、というだけでは答えにはならないと思ったのです。
彼等がどうしてここまで真剣になれたのか、という疑問ですが、1つの憶測は、この『ザ・キングズ・スピーチ』の裏には「ウィリアム即位待望論」が埋めこまれているのではないかという点です。例えば、ジョージ6世の兄、エドワード8世、後のウィンザー公をガイ・ピアースが巧妙に演じているのですが、その人妻との恋に走って王冠を捨てた兄のエピソードが、どうしても現王太子の存在に重なってしまうのです。
今まさに英国は、王孫にあたる王位継承権第2位のウィリアム王子が、長い交際期間の末にケイト・ミドルトンさんと結婚するという「ロイヤル・ウェディング」に湧いています。そのウィリアム王子は、最近風貌が曽祖父にあたるジョージ6世に似てきているという噂もあります。何と言っても現王太子については、とりわけカミラ夫人が再婚であることや不倫関係の時期があったことから、仮に即位したとしても夫人は「クイーン」の称号を遠慮するという話もあります。そんな不透明なイメージの新国王夫妻を迎えるよりは、いっそ次世代に飛ばした方が良いという、大胆な「世代交代論」、この映画の奥にはそんな含意が感じられるのです。
コリン・ファース演じるジョージ6世が誠実な人間に見えれば見えるほどに、何となく「思い切った新世代の即位で社会に新風を」というメッセージを感じさせることになる、そんなテーマ性が隠されているのであれば、ファースやカーターなどの「クセのある」役者さんたちも俄然ヤル気になったのかもしれません。考えてみれば、英国といえばデービッド・キャメロン首相が44歳、もうチャールズ=カミラ夫妻のような「団塊」の出る幕ではないというわけです。
1つだけ気になったのは、ラストシーンに近いあたりで大戦前夜の「重苦しさ」が感じられないことです。この辺りについては、対ナチス問題で宥和か対決かで揺れたチェンバレンやチャーチルの動きが描けてないという批判もあるようですが、それ以前の問題としてヨーロッパを覆った暗雲の空気が感じられないのは物足りない印象を残しました。ただ、それもこれも監督の世代からすると、1930年代も『ジョン・アダムス』の1790年代も同じような歴史の彼方なのだと思うと、うるさいことを言うのが野暮なのかもしれません。いずれにしても、ファースの演技をはじめとして歴史に残る秀作だと思います。
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