コラム

百年にわたる家族の物語から「過去の克服」を探求する『ハイゼ家 百年』

2021年04月23日(金)17時30分

ウドは彼女に恋い焦がれ、結婚を望んでいる。日記から浮かび上がるロージーも最初は彼を想っているが、戦争や戦後の混乱が次第に彼女を変えていく。ドレスデン爆撃で瓦礫と死体を掻き分け、フランス人と偽って外国人収容所で終戦を迎えた彼女は、奔放な男性遍歴を重ねる一方で政治にのめり込むようになり(ウドは手紙で「バカな共産主義のほうが僕より大事なんだろう」と書いている)、やがて大学の研究所で働くヴォルフガングと運命的に出会う。

ロージーはヴォルフガングと結ばれ、兄のアンドレアスと本作の監督トーマスが誕生する。そして60年代、大学で哲学の教鞭をとっていたヴォルフガングと文芸雑誌の編集者となったロージーは、劇作家ハイナー・ミュラーや作家クリスタ・ヴォルフと交流し、シュタージの監視下に置かれるようになる。

東ドイツがナチスという負の遺産とどのように向き合ったのか

では、監督のハイゼは、彼の家族をめぐる個人と歴史の関係になにを見ているのか。ここで思い出す必要があるのが、東ドイツがナチスという負の遺産とどのように向き合い、体制を正当化したかということだ。それは、ラース・クラウメ監督の『僕たちは希望という名の列車に乗った』を取り上げたときにも触れているが、もう一度振り返っておきたい。

ペーター・ライヒェルの『ドイツ 過去の克服』によれば、ソ連の影響が濃くなるに従って、反ファシズムと社会主義的理想の熱意は、抑圧の度を増す体制の実際と相容れなくなった。そこで歴史が歪曲され、ヒトラー政府による権力掌握が、対ソ侵略戦争の準備とドイツ共産党指揮下でのプロレタリア革命の防禦を追及するものであったと、主張された。そして、以下のような記述がつづく。

oba20210423aa.jpg

『ドイツ 過去の克服----ナチ独裁に対する1945年以降の政治的・法的取り組み』ペーター・ライヒェル 小川保博・芝野由和訳(八朔社、2006年)


「このような見方からすれば、ナチ体制の反共産主義がその人種的反ユダヤ主義よりはるかに重要に見えたのも当然であったし、とくにドイツ労働者階級がヒトラー独裁の犠牲者に仕立て上げられ、ドイツ民族はヒトラーに欺かれ、利用されたことになる。この見方には、東ドイツ住民の責任を軽減する効果が大いにあった。この点は、東ドイツの歴史理論がファシズムを資本主義の普遍的な発展問題として解釈することによってさらに強められた」

なぜこのような背景が重要になるのかは、全5章で構成される本作の最終章で明らかになる。そこには、個人と歴史の関係を集約するような引用が盛り込まれている。

90年代にロージーがクリスタ・ヴォルフに送った手紙では、彼女たちが当初ともにシュタージに協力した過去を踏まえ、以下のようなモノローグがつづく。


「私たちはシュタージを信じた。その後シュタージも国家も変容するけれど、わたしたちはそれを認めようとしなかった。(中略)。私が最初から矛盾に気づいていたのは、反ファシズムの家庭で育ったから。でも自分の感覚が信じられなかった。この葛藤に向き合うことができず、私は統合失調症になった」

さらに、ハイナ・ミュラーがベルリンの壁崩壊後の現実について書いた寄稿文「野蛮人の浜辺」にも注目すべきだろう。そこには以下のような表現がある。


「民主化運動からネオナチの襲撃へ。古傷が新たな傷を求める。力が押さえつけられ、抑圧者への革命も行えなかった結果、矛先が弱い者へ向かう。亡命申請者、貧しい外国人、貧者対最貧の者。(中略)ドイツ民主共和国では若者を平等に扱っていた、しかし若者をなだめるためのインフラが破壊され、彼らはいきなり自由市場に放たれた。でも市場は長い目で見ることもなく、彼らの多くをはじきだした」

このモノローグは、本作の導入部と呼応している。本作は1912年、当時14歳だった祖父ヴィルヘルムが、学校の宿題で戦争と権力について書いた作文から始まり、そこには「暴君は国民を啓蒙と知から遠ざけようとする。闇の中にいる下々の者に解放の光がささぬよう」といった表現があるからだ。

ハイゼは、百年にわたる家族の物語から繰り返される歴史を炙り出し、独自の視点で「過去の克服」を探求していると見ることもできるだろう。

《参照/引用文献・記事》A Conversation With Thomas Heise (HEIMAT IS A SPACE IN TIME) by Christopher Reed | hammertonail.com (January 16, 2020)

(C) ma.ja.de Filmprodktion / Thomas Heise
公開:4月24日(土)よりシアター・イメージフォーラム他

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

英国の電力源、24年は風力が初の首位 30%でガス

ビジネス

中国軍との協力疑われる企業リストにCATL、テスラ

ワールド

米ロサンゼルス近郊で山火事拡大、3万人避難 加州が

ワールド

米司法長官候補辞退のゲーツ氏、フロリダ州知事選に出
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:中国の宇宙軍拡
特集:中国の宇宙軍拡
2025年1月14日号(1/ 7発売)

軍事・民間で宇宙覇権を狙う習近平政権。その静かな第一歩が南米チリから始まった

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    中国でインフルエンザ様の未知のウイルス「HMPV」流行の懸念
  • 2
    「戦死証明書」を渡され...ロシアで戦死した北朝鮮兵の遺族を待つ運命とは? 手当を受け取るには「秘密保持」が絶対
  • 3
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるようになる!筋トレよりもずっと効果的な「たった30秒の体操」
  • 4
    仮想通貨が「人類の繁栄と自由のカギ」だというペテ…
  • 5
    ロシア軍は戦死した北朝鮮兵の「顔を焼いている」──…
  • 6
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参…
  • 7
    真の敵は中国──帝政ロシアの過ちに学ばない愚かさ
  • 8
    レザーパンツで「女性特有の感染症リスク」が増加...…
  • 9
    「涙止まらん...」トリミングの結果、何の動物か分か…
  • 10
    ウクライナの「禁じ手」の行方は?
  • 1
    中国でインフルエンザ様の未知のウイルス「HMPV」流行の懸念
  • 2
    「戦死証明書」を渡され...ロシアで戦死した北朝鮮兵の遺族を待つ運命とは? 手当を受け取るには「秘密保持」が絶対
  • 3
    真の敵は中国──帝政ロシアの過ちに学ばない愚かさ
  • 4
    「涙止まらん...」トリミングの結果、何の動物か分か…
  • 5
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 6
    早稲田の卒業生はなぜ母校が「難関校」になることを…
  • 7
    地下鉄で火をつけられた女性を、焼け死ぬまで「誰も…
  • 8
    ザポリージャ州の「ロシア軍司令部」にHIMARS攻撃...…
  • 9
    ロシア軍は戦死した北朝鮮兵の「顔を焼いている」──…
  • 10
    カヤックの下にうごめく「謎の影」...釣り人を恐怖に…
  • 1
    大腸がんの原因になる食品とは?...がん治療に革命をもたらす可能性も【最新研究】
  • 2
    夜空を切り裂いた「爆発の閃光」...「ロシア北方艦隊」の基地で発生した大爆発を捉えた映像にSNSでは憶測も
  • 3
    インスタント食品が招く「静かな健康危機」...研究が明らかにした現実
  • 4
    ロシア兵「そそくさとシリア脱出」...ロシアのプレゼ…
  • 5
    TBS日曜劇場が描かなかった坑夫生活...東京ドーム1.3…
  • 6
    ロシア軍は戦死した北朝鮮兵の「顔を焼いている」──…
  • 7
    半年で約486万人の旅人「遊女の数は1000人」にも達し…
  • 8
    「腹の底から笑った!」ママの「アダルト」なクリス…
  • 9
    ミサイル落下、大爆発の衝撃シーン...ロシアの自走式…
  • 10
    コーヒーを飲むと腸内細菌が育つ...なにを飲み食いす…
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story