コラム

「インドの9・11」ムンバイ同時多発テロを描く、『ホテル・ムンバイ』

2019年09月26日(木)19時00分

インドで起きた無差別テロとその背景を描く『ホテル・ムンバイ』

<2008年にインド・ムンバイで起きた無差別同時多発テロを題材に、タージマハル・ホテルから脱出した人質たちの実話を描く物語......>

2008年11月にインドのムンバイで発生したイスラム武装勢力による同時多発テロでは172人ないし174人の命が奪われた。オーストラリア出身のアンソニー・マラス監督の長編デビュー作『ホテル・ムンバイ』では、テロの標的のひとつとなった歴史あるタージマハル・ホテルを主な舞台に、この事件が描き出される。

凄まじい臨場感には誰もが圧倒される

自ら企画を立ち上げたマラスは、この題材に対する関心を以下のように説明している。


「500人以上もの人々が巻き込まれながら、32人しか死者が出なかったという奇跡に驚いた。しかも、犠牲者の大半は、宿泊客を守るために残った従業員だった。彼らの驚くほど勇敢で機転が利き、自らを犠牲にしようとした行動に心を動かされ、映画で伝えようと決心した」(プレスより)

物語は、ボートに乗ったテロリストの集団が上陸し、タクシーを使ってそれぞれの標的に向かうところから始まる。最初の標的はCTS駅で、構内に轟音が鳴り響く。後にテレビから流れるニュースで、100名以上の乗客と駅員が射殺されたことがわかる。駅から逃走した2人組は警察車両を奪い、街を走りながら銃を乱射し、さらに混乱が広がっていく。

逃げ惑う人々はタージマハル・ホテルにも押し寄せる。だが、そのなかにはテロリストも紛れ込み、豪華なロビーで殺戮を繰り広げる。レストランや客室で身を潜める宿泊客や従業員は救援を待つが、やがてムンバイには特殊部隊が設置されていないため、1300キロも離れたニューデリーに出動を要請したことがわかる。従業員たちは、なんとか宿泊客を守り、脱出しようとするが──。

本作の凄まじい臨場感には誰もが圧倒されることだろう。しかし、緻密な構成と演出も見逃せない。マラスは、誇りを胸に秘めた勇敢な給仕アルジュンや冷静に従業員たちの指揮をとる料理長オベロイ、富豪の娘ザーラと彼女の夫で建築家のデヴィッド、彼らの赤ん坊の面倒をみるシッターのサリー、気難しいロシア人実業家ワシリー、そして実行犯のひとりイムランといった登場人物を掘り下げながら、緊張が一瞬も途切れることがないドラマを作り上げている。

「インドの9・11」のトラウマの克服と原因

そんな登場人物に対する視点は、このテロ事件そのものをどうとらえるかによって、意味が変わってくるように思える。たとえば、政治を扱う雑誌「Alternatives: Global, Local, Pol itical」に掲載された記事「Stories of Catas trophe, Traces of Trauma: Indian State For mation and the Borders of Becoming」がその参考になる。

ムンバイ同時多発テロは、一般的には「インドの9・11」とみなされている。イスラム過激派組織が経済と娯楽の中心地ムンバイを標的とすることで、インドに打撃を与え、世界にその存在をアピールしようとしたということだ。

この記事はそれを踏まえて、もうひとつの視点を提示し、テロをインド独立の際の大惨事と結びつけて考察していく。イギリスの植民地だったインドは、それぞれヒンドゥー教徒とイスラム教徒が多数派を占めるインドとパキスタンに分かれて独立した。そのためインドに向かうヒンドゥー教徒やシーク教徒とパキスタンに向かうイスラム教徒の大移動が引き起こされ、膨大な数の難民が発生し、暴動や虐殺で多くの命が奪われた。そしてその後も二国の間で対立がつづいている。

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

独クリスマス市襲撃、容疑者に反イスラム言動 難民対

ワールド

シリア暫定政府、国防相に元反体制派司令官を任命 外

ワールド

アングル:肥満症治療薬、他の疾患治療の契機に 米で

ビジネス

日鉄、ホワイトハウスが「不当な影響力」と米当局に書
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:アサド政権崩壊
特集:アサド政権崩壊
2024年12月24日号(12/17発売)

アサドの独裁国家があっけなく瓦解。新体制のシリアを世界は楽観視できるのか

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    インスタント食品が招く「静かな健康危機」...研究が明らかにした現実
  • 2
    おやつをやめずに食生活を改善できる?...和田秀樹医師に聞く「老けない」最強の食事法
  • 3
    【駐日ジョージア大使・特別寄稿】ジョージアでは今、何が起きているのか?...伝えておきたい2つのこと
  • 4
    ロシア西部「弾薬庫」への攻撃で起きたのは、戦争が…
  • 5
    「たったの10分間でもいい」ランニングをムリなく継続…
  • 6
    映画界に「究極のシナモンロール男」現る...お疲れモ…
  • 7
    村上春樹、「ぼく」の自分探しの旅は終着点に到達し…
  • 8
    ロシア軍は戦死した北朝鮮兵の「顔を焼いている」──…
  • 9
    「私が主役!」と、他人を見下すような態度に批判殺…
  • 10
    【クイズ】世界で1番「汚い観光地」はどこ?
  • 1
    インスタント食品が招く「静かな健康危機」...研究が明らかにした現実
  • 2
    ロシア軍は戦死した北朝鮮兵の「顔を焼いている」──ゼレンスキー
  • 3
    村上春樹、「ぼく」の自分探しの旅は終着点に到達した...ここまで来るのに40年以上の歳月を要した
  • 4
    おやつをやめずに食生活を改善できる?...和田秀樹医…
  • 5
    女性クリエイター「1日に100人と寝る」チャレンジが…
  • 6
    コーヒーを飲むと腸内細菌が育つ...なにを飲み食いす…
  • 7
    大腸がんの原因になる食品とは?...がん治療に革命を…
  • 8
    ウクライナ「ATACMS」攻撃を受けたロシア国内の航空…
  • 9
    【クイズ】アメリカにとって最大の貿易相手はどこの…
  • 10
    「どんなゲームよりも熾烈」...ロシアの火炎放射器「…
  • 1
    寿命が延びる、3つのシンプルな習慣
  • 2
    インスタント食品が招く「静かな健康危機」...研究が明らかにした現実
  • 3
    「1年後の体力がまったく変わる」日常生活を自然に筋トレに変える7つのヒント
  • 4
    ロシア兵「そそくさとシリア脱出」...ロシアのプレゼ…
  • 5
    半年で約486万人の旅人「遊女の数は1000人」にも達し…
  • 6
    ロシア軍は戦死した北朝鮮兵の「顔を焼いている」──…
  • 7
    「炭水化物の制限」は健康に問題ないですか?...和田…
  • 8
    ミサイル落下、大爆発の衝撃シーン...ロシアの自走式…
  • 9
    コーヒーを飲むと腸内細菌が育つ...なにを飲み食いす…
  • 10
    2年半の捕虜生活を終えたウクライナ兵を待っていた、…
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story