コラム

2本のドキュメンタリー映画で写真の可能性を考える

2015年07月29日(水)16時21分

 だがその2年後、マルーフが再び試みた検索で奇跡的にヒットしたのは、彼女が数日前に亡くなったことを伝える死亡記事だった。それをきっかけに彼は、彼女を知る人物を突き止めるが、意外な事実が明らかになる。彼女の職業は写真家ではなくナニー(乳母)で、15万枚以上の作品を残しながら、生前に1枚も公表することがなかった。そこでマルーフによるヴィヴィアン・マイヤーを探す旅が始まる。彼は、『ボウリング・フォー・コロンバイン』などのプロデューサーで知られるチャーリー・シスケルと共同で監督も手がけ、ドキュメンタリーを完成させた。

 この映画ではまずなによりも、マイヤーが街中で遭遇した人々を撮った素晴らしいストリート写真の数々に目を奪われる。ロバート・フランクやダイアン・アーバスを連想させる作品もあるが、ただの模倣ではなく、被写体の人生を垣間見るような一瞬の表情が見事に切り取られ、惹き込まれる。これだけの洞察、感性、技量を備えながら、なぜ彼女は作品を発表しなかったのか。この映画ではその謎が完全に解き明かされるわけではないが、生前の彼女を知る人々の様々な証言が想像をかきたてる。

 マイヤーは孤独で変わり者だった。乳母の仕事を通じて他の女性と交流を持つことはあったが、心は開かなかった。トラウマがあるのか、いつも身体の線が隠れる服を身につけ、男性に対して過剰な拒絶反応を見せたこともあったようだ。偽名を名乗ったりもしていた。写真や衣類だけでなく、クーポンやチラシなどあらゆるものを溜め込み、住み込み先が変わると大量の荷物を運んでいた。

 彼女は他者となにも分かち合うことがなかった。写真とはそんな彼女が、一瞬だけ心を開き、他者へと踏み出し、感情を共有した証だったのではないか。しかしそれは、誰でもない存在である彼女だからできたことで、写真家として認知され、作品がアートとして評価されたら失われてしまうものだったのではないか。そういう意味では彼女は、アートという枠組みに縛られることなく、最後までまったく自由にシャッターを切り続けた表現者だったといえる。

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【映画情報】
『ヴィヴィアン・マイヤーを探して』
監督:ジョン・マルーフ、チャーリー・シスケル
10月シアター・イメージ・フォーラムほかにて全国公開

©Vivian Maier_Maloof Collection

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

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