台湾映画『太陽の子』と、台湾の「奪われた者」たち
映画のなかで、パナイが伝統の稲作の復活を支援団体の人たちにアピールするための演説がある。この映画の最大の見どころの一つだ。パナイはかつて自分の名前が漢民族の「林美秀」という名前で呼ばれていて、ちゃんとした中国語でスピーチすると、学校で賞をもらったエピソードを明かした。しかし、それは「アミ族でない振り」をしてもらった賞であり、最も望んでいなかったことだったと語る。そして、聴衆に向かって「皆さん、こんにちは。私はパナイです」と呼びかけ、「部落の稲穂を取り戻したい」と語るのである。パナイとは、アミ語で「稲穂」であり、ここには、伝統との稲作と自分の本来の名前を取り戻すという二重の意味が込められている。
この場面には、この映画の「奪われたもの」を取り戻すというエッセンスのすべてが入っていると言っても過言ではない。先住民の名前の付け方には特別な意味がある。先祖の名前、父母の名前、土地にまつわる事物の名前がつけられることが多い。名前には、その土地に生きてきた部族の歴史とアイデンティティが込められている。その名前を支配者の方針に適応するとの理由で、日本名にしたり、中国語名にしたりしてきた数百年の歴史があった。
いま台湾では法律が改正され、先住民に中国語名を強制させる制度が変えられ、自由に選択できるようになった。若い人の多くは、自らの民族の名前を選ぶとき、戸籍上の漢民族名を先住民語のオリジナルの名前に変更したりしている。主人公パナイを好演したアロ・カリティン・パチラルさんもまた、若いころに自分の名前を漢民族名からアミ族のものに戻した経験の持ち主だ。それだけに、演技においては、自らの体験を投影した迫真の演技となった。もともとは歌手兼テレビの司会者として活躍してきたが、初の映画出演となったこの作品で台湾最高の映画賞である金馬奨で最優秀新人賞にノミネートされるほど高い評価を受けた。
【参考記事】熱狂なき蔡英文の就任演説に秘められた「問題解決」への決意
今年5月に新総統に着任した蔡英文氏は、この8月1日、正式に、過去の先住民政策に対する全面的な謝罪を行って、台湾内外の大きな注目を集めた。なぜ、現職の総統が、人口比でいえばわずか2%に過ぎない50万人余の先住民たちに頭を下げて過去を悔い改めなければならなかったのか。いささか唐突な印象を持った人も多かったのではないだろうか。この蔡英文の謝罪というニュースを理解するカギはこの映画『太陽の子』によって雄弁に語られている。
そう、蔡英文の謝罪は「奪った者」が「奪われた者」に謝る行為だったのだ。具体的な清算の方法はもちろん今後の政策課題となる。しかし、まずは謝罪の先にしか、清算も和解もない。それこそが、あの謝罪の意味だった。『太陽の子』はそんな現代政治の核心まで、我々の思考を連れていってくれる映画である。
*映画『太陽の子』の日本における上映情報はFBファンページからご参照下さい。9月10日から13日にかけて東京、静岡、神奈川などで開かれる上映会では、本作の主演女優であるアロ・カリティン・パチラルさんが来日し、トークや歌を披露します。また本作品の上映プロジェクトについては野嶋剛の公式HPでその経緯や理由を詳しく説明しております。
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