日本の炭鉱は「廃墟」「終わった産業」──とも限らない
日本に残る最後の炭鉱、北海道釧路市の太平洋炭鉱(2001年撮影、現・釧路コールマイン)の鉱員たち Kimimasa Mayama-REUTERS
<過去の遺物と思われがちな「炭鉱」だが、世界では今も1次エネルギー源の28%が石炭であり、日本の炭鉱も消え去ってはいない。その歴史的意義と今日の可能性とは>
「炭鉱」という言葉に、どんな印象を持つだろうか。地下や岩山の奥へと伸びる坑道は危険な場所で、そこでは過酷な重労働が課されていた――そんなイメージを思い浮かべる人が多いだろう。暗い歴史を持つ過去の遺物としてネガティブに語られることも多い。
その一方で、炭鉱の遺構はノスタルジーを掻き立てる「廃墟」として注目を集めてもいる。文化財や産業遺産としての価値も認められるようになり、2015年には「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」がユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界遺産に登録された。
炭鉱とは何だったのか。それが現代日本にどうつながっているのか。炭鉱とそこで生きた人々の歴史的意義と今日の可能性に光を当てた『炭鉱と「日本の奇跡」――石炭の多面性を掘り直す』(中澤秀雄/嶋﨑尚子・編著、青弓社)からは、知られざる炭鉱の姿を垣間見ることができる。
石炭がなければ酷暑は乗り切れない
炭鉱とは、石炭を掘り出すための鉱山だ。石炭は、植物が長い年月を経て地層の中で炭化したものを言う。日本列島付近に埋蔵されている石炭は、造山運動の影響を受けて、北海道や九州、山口県といった列島の「端っこ」に広がっている。
国内の炭鉱は、最大時(1952年)には1047もあったと言われるが、現在でも石炭の坑内採掘を行っているのは、北海道釧路市にある釧路コールマイン(KCM。元・太平洋炭鉱)だけ。その他には露天掘りの炭鉱が道内に数カ所あるくらいだ。
現在、全ての炭鉱を合わせた生産量は、年間100万トン程度だという。炭鉱や石炭産業を過去のものと捉えていれば、この数字は意外かもしれない。だが、最盛期に記録した5600万トン(1940年度)と比べれば、微々たる量だと言える。
高度経済成長期において、経済を支える主要産業の座は重工業からハイテク産業へ、さらにサービス産業へと切り替わった。同時に、石炭というエネルギー源も、石油・原子力に取って代わられた......ように見えるが、それは大きな誤解だと本書は指摘する。
その証拠に、世界全体の1次エネルギー源の構成比を見てみると、石炭の占める割合は1971年には26%だったが、2015年でも28%であり、依然としてその地位を保っている。
国内でも、東日本大震災による事故を受けて、一時全ての原子力発電所が停止した。その後は再稼働が進んでいるが、現在稼働している原子炉はわずか6基。そんな状況で「危険な暑さ」と称されるほどの異常な夏が到来し、命を守るために冷房の使用が奨励されても停電せずにいられるのは、実は石炭火力発電所のおかげだ。