W杯開催地カタールへの「人権侵害」批判はどこまで正当か
また、膨大な経費やそれにともなう不透明な取引についても、批判や懸念は当然だろう。
とはいえ、「だからカタールはけしからん」と断定していいかは議論の余地がある。むしろ、欧米で高まる人権問題を理由としたカタール大会批判は、やや不公平といわざるを得ない。
人権侵害に乗るサッカービジネス
カタールだけでなく中東各国に人権侵害が目立つのは確かとしても、あえていうなら、現代のサッカービジネスそのものが膨大な人権侵害に大きく依存している。
世界中から人材を集めるビッグクラブには、途上国とりわけアフリカの貧困国から、人身取引まがいの手法で子どもを連れ出す事案が後を絶たない。その数はヨーロッパのクラブだけで年間1万5000人にものぼると試算される。
FIFAは2001年、18歳未満の子どもに、暮らしている国以外の国のクラブとの契約・登録を禁じた。しかし、その規制をかいくぐって、偽造パスポートで親子ともどもヨーロッパに移住させたり、偽の親に引率させたりすることが数多く報告されている。
ビッグクラブでプレーすることを夢見てヨーロッパに渡った子どものうち、スター選手になれるのはわずかで、他のほとんどは捨てられてホームレスになるか、強制送還される。これは送り出す側の途上国の問題であると同時に、受け入れる側のヨーロッパ各国の問題でもある。
髪を隠さない自由、隠す自由
人身取引についてヨーロッパ各国は他の地域より厳しい規制を設けているが、犠牲者の多くがヨーロッパに流入しているのもまた確かだ。
女性の権利制限や同性愛の禁止が人権問題であるとしても、人身取引もまた深刻な人権問題であるはずだ。
だとすれば、ヨーロッパのスポーツバーが人権問題を理由にカタール大会をボイコットするなら、ヨーロッパの多くのプロサッカーリーグもボイコットされておかしくないが、そうはならない。連れ出されるのが途上国の子どもだからだろうか。
つけ加えるなら、フランスでは女子サッカーリーグなどで、ムスリム女性が髪を隠す「ヒジャブ」の着用が禁じられた。「世俗主義」を徹底させるというのが理由だが、これは髪を隠したいムスリム女性を排除するものでもある。