コラム

ナチスへの復讐劇『手紙は憶えている』とイスラエルをめぐるジレンマ

2025年01月17日(金)18時13分

でもこの潮流は、現代史における1つの重要なリスクをも増大させる。

ユダヤ人への差別・迫害はナチスドイツだけではなく、全ヨーロッパで行われていた。その後ろめたさがあるから戦後の西洋世界は萎縮し、被害者意識を肥大させたイスラエルがパレスチナに対して行う加害を強く批判できなかった。

こうして4回の中東戦争が起きたが、イスラエルは常にアラブを圧倒的な軍事力で一蹴した。アメリカという強力な軍事大国の後ろ盾があるからだ。

言ってみれば戦後世界は、ユダヤの受難を歴史に刻み込もうとするたびに、イスラエルのパレスチナに対する加害を肯定してしまうというパラドックスに常にはまり込んできた。ホロコーストは二度とあってはならないし反ユダヤ主義は絶対に許されないとする反省と教訓が、今のイスラエルを造形してしまったのだ。


このジレンマを見事に反転させながらクリアした作品が、今回紹介する『手紙は憶えている』だ。

元ナチス親衛隊員への復讐を果たそうとするゼブの行動は、差別と迫害の記憶を宗教的な大義(シオニズム)と融合させながら、自衛を理由に周辺のアラブ諸国に加害を繰り返すイスラエルと合わせ鏡なのだ。

製作はカナダとドイツ。監督のアトム・エゴヤンは亡命アルメニア系の両親のもとでエジプトに生まれ、今はカナダに居住している。複雑なプロフィールが見事に結実した。

プロフィール

森達也

映画監督、作家。明治大学特任教授。主な作品にオウム真理教信者のドキュメンタリー映画『A』や『FAKE』『i−新聞記者ドキュメント−』がある。著書も『A3』『死刑』など多数。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

イスラエル安保閣議、ガザ停戦合意を承認 全体閣議で

ビジネス

米財政赤字、25年は横ばいで推移 トランプ減税失効

ワールド

米ゴールドマン、CEO報酬3900万ドルに増額

ワールド

トランプ氏就任式、議事堂内で 厳しい寒さで屋外から
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:トランプ新政権ガイド
特集:トランプ新政権ガイド
2025年1月21日号(1/15発売)

1月20日の就任式を目前に「爆弾」を連続投下。トランプ新政権の外交・内政と日本経済への影響は?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「拷問に近いことも...」獲得賞金は10億円、最も稼いでいるプロゲーマーが語る「eスポーツのリアル」
  • 2
    轟音に次ぐ轟音...ロシア国内の化学工場を夜間に襲うウクライナの猛攻シーン 「ATACMSを使用」と情報筋
  • 3
    【クイズ】次のうち、和製英語「ではない」のはどれ?(ショベルカー・サイドビジネス・シーサイドホテル・オーバースペック)
  • 4
    【クイズ】世界で1番マイクロプラスチックを「食べて…
  • 5
    ドラマ「海に眠るダイヤモンド」で再注目...軍艦島の…
  • 6
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参…
  • 7
    「ウクライナに残りたい...」捕虜となった北朝鮮兵が…
  • 8
    ティーバッグから有害物質が放出されている...研究者…
  • 9
    雪の中、服を脱ぎ捨て、丸見えに...ブラジルの歌姫、…
  • 10
    内幕を知ってゾッとする...中国で「60円朝食」が流行…
  • 1
    ティーバッグから有害物質が放出されている...研究者が警告【最新研究】
  • 2
    体の筋肉量が落ちにくくなる3つの条件は?...和田秀樹医師に聞く「老けない」最強の食事法
  • 3
    睡眠時間60分の差で、脳の老化速度は2倍! カギは「最初の90分」...快眠の「7つのコツ」とは?
  • 4
    メーガン妃のNetflix新番組「ウィズ・ラブ、メーガン…
  • 5
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参…
  • 6
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 7
    轟音に次ぐ轟音...ロシア国内の化学工場を夜間に襲う…
  • 8
    大麻は脳にどのような影響を及ぼすのか...? 高濃度の…
  • 9
    ドラマ「海に眠るダイヤモンド」で再注目...軍艦島の…
  • 10
    「拷問に近いことも...」獲得賞金は10億円、最も稼い…
  • 1
    ティーバッグから有害物質が放出されている...研究者が警告【最新研究】
  • 2
    大腸がんの原因になる食品とは?...がん治療に革命をもたらす可能性も【最新研究】
  • 3
    体の筋肉量が落ちにくくなる3つの条件は?...和田秀樹医師に聞く「老けない」最強の食事法
  • 4
    夜空を切り裂いた「爆発の閃光」...「ロシア北方艦隊…
  • 5
    インスタント食品が招く「静かな健康危機」...研究が…
  • 6
    ロシア軍は戦死した北朝鮮兵の「顔を焼いている」──…
  • 7
    TBS日曜劇場が描かなかった坑夫生活...東京ドーム1.3…
  • 8
    「涙止まらん...」トリミングの結果、何の動物か分か…
  • 9
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 10
    「戦死証明書」を渡され...ロシアで戦死した北朝鮮兵…
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story