アメリカでヒットした『サウンド・オブ・フリーダム』にはQアノン的な品性が滲む
ILLUSTRATION BY NATSUCO MOON FOR NEWSWEEK JAPAN
<昨年の全米興行収入でトップ10入りした『サウンド・オブ・フリーダム』を見て驚いたのは、その荒唐無稽さと最後のクレジットロール>
生身の素材を相手に格闘するからか、ドキュメンタリー業界には癖の強い作り手が少なくない。「癖の強い」を違う言葉で表現すれば、人間的には決して高潔ではないし善人でもないということだ。そしてそのようなタイプのほうが、被写体が隠していることや現象の裏を探ったり見抜いたりすることに成功するので、作品はより深くなるし面白くなる。
これはドキュメンタリーというジャンルに限定される傾向ではなく、劇映画の世界も同様だ。憧れの監督と初めて話し、会わなければよかったとがっかりしたことは何度かある。
ここで2つ補足するが、僕もおそらくその(会わなければよかったとがっかりされる)1人だ。そして、全ての作り手がこれに当てはまるわけでもない。人を疑わず気遣いも万全で誰に聞いても「あいつはいい奴だ」と称賛される作り手だってもちろんいる。ただしアベレージとしては決して多くない。
でもたとえ品性下劣な監督だろうと、自己本位で虚栄心ばかりの俳優だろうと作品は関係ない。面白ければいい。僕はそう思う。でも下劣な品性や低俗な嗜好は、きっと作品に滲(にじ)む。
『サウンド・オブ・フリーダム』を観てまず驚いたのは、児童誘拐や人身売買、性的虐待など国際的性犯罪の市場規模の大きさだ。年間1500億ドルとの統計もある。児童の数に換算したら数十万か数百万の単位かもしれない。
もう1つの驚きは、(内容ではないが)本作は公開初日の2023年7月4日興行収入が、同時期上映の『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』を抑えて1位を記録し、この年の全米映画興行収入でもトップ10にランクインしたとの情報だ。
なぜこれに驚いたのか。理由は簡単。それほどの映画ではないからだ。
実話をベースにしているとの触れ込みだが、荒唐無稽がすぎると感じるシーンがいくつかある。特に反政府ゲリラの戦闘員たちの描写は、B級映画のギャングの手下たちのように類型的だ。ジャングルに潜んで政府の軍隊と闘う彼らは、少女を密売組織から買う資金をどこから捻出したのか。いや何よりも、そんな下劣で低俗な志で政治権力と闘えるのか。
でも何よりも驚いたのは、(ネタバレになるので詳細は書かないが)最後のクレジットロールだ。これはプロモーションビデオなのか。メッセージの意味を取り違えている。