『フロント・ページ』はドタバタコメディーだけど大事なテーマが詰まっている
ILLUSTRATION BY NATSUCO MOON FOR NEWSWEEK JAPAN
<新劇の俳優養成所に通っていた70年代、名画座で観たビリー・ワイルダー監督のコメディーが教えてくれたこと>
大学時代に映研に所属して8㍉映画を撮っていたことについては、この連載でも何度か触れた。スタッフはもちろん、キャストも自分たちでやる。最初は棒読みだったと思うが、何度かサークル仲間の映画に出演しているうちに演技も面白いと思い始め、4年生になって多くのクラスメイトが就活に焦り始める頃に新劇の俳優養成所に入所した。
同期は学生から会社員までさまざま。男たちの多くの憧れは原田芳雄と松田優作、そしてショーケン(萩原健一)。だから(僕も含めて)半分近くはサングラスに長髪で革ジャン。つまり形から入っていた。ちなみに女の子たちの憧れは桃井かおりが多かったように思う。
芝居に身を投じるほどの情熱があったわけではない。大学を卒業して就職するという既成のコースに乗るだけの覚悟ができていなかったのだ。とはいえ大学を中退するほどの度胸もない。その意味では芝居でも音楽でも(政治)運動でもよかったはずだ。要するにモラトリアムを延長したかっただけなのだ。
ただし入所したときは、それなりに演技に夢中になった。稽古の後は渋谷の居酒屋で同期生たちと、ニューヨークのアクターズスタジオ出身のダスティン・ホフマンはカメラに写らないポケットの中まで役作りするんだぜ、などと青くさい演劇論を語り合いながら安酒を飲んでいた。
新劇の養成所ではあるけれど、舞台志向の同期生は少数派だったと思う。映画やテレビドラマで脚光を浴びることが夢だった。
そんなときに都内の名画座で『フロント・ページ』を観た。監督は名匠ビリー・ワイルダー。主な舞台は1920年代、シカゴの裁判所の記者クラブ。記者たちはここに机を置き、昼から酒を飲みながらポーカーに耽ふ ける。つまり彼らは当時のアメリカ社会のアウトサイダーだ(記者と知ったタクシーの運転手から乗車拒否されるシーンがある)。