コラム

防犯対策の世界常識が日本に定着しないのは、その礎が「城壁都市」にあるから

2024年02月03日(土)09時40分
モレリャ(モレージャ)の城壁に囲まれた街並み

スペイン・モレリャ(モレージャ)の城壁に囲まれた街並み KarSol-Shutterstock

<犯行動機はコントロールできないが、犯罪機会をなくすためにできることはある。犯罪を未然に防ぐには「場所で守る」発想が必要とされるが、そのヒントを日本の歴史的建築物からも探すことができる>

京都市のアニメ制作会社「京都アニメーション」のスタジオが放火された事件(2019年)は、社員36人が死亡するという悲劇だった。この事件を審理した京都地裁は、先月、殺人罪に問われた被告に死刑を言い渡した。その後、弁護人は判決を不服として大阪高裁に控訴している。

この判決をめぐる報道やコメントを見ると、日本への「犯罪機会論」の導入は、依然として低レベルにとどまっていると言わざるを得ない。というのは、報道やコメントの7割が犯人を非難するもの、そして3割が被害者に同情するもので、犯行現場(施設)に関するものが、ほとんどないからだ。こうした思考では、未来の犯罪を防ぐことはできない。残念ながら、被害者は無駄死にになってしまう。これでは、被害者が浮かばれない。

では、犯行現場(施設)に関して、何をどう議論すべきか。

犯罪学では、人に注目する立場を「犯罪原因論」、場所に注目する立場を「犯罪機会論」と呼んでいる。犯罪原因論が「なぜあの人が」というアプローチで、動機をなくす方法を探すのに対し、犯罪機会論は「なぜここで」というアプローチで、機会をなくす方法を探す。つまり、動機があっても、犯行のコストやリスクが高く、リターンが低ければ、犯罪は実行されないと考えるわけだ。

防犯対策のグローバル・スタンダード

犯罪機会論を分かりやすく図式化したものに、「犯罪トライアングル」がある(図1)。シンシナティ大学のジョン・エックが考案した。

図1の内側の三角形は犯罪を発生させる要素で、①犯罪者、②被害者、③場所という3辺から成る。一方、外側の三角形は犯罪を抑止する要素で、①犯罪者の監督者、②被害者の監視者、③場所の管理者で構成される。

komiya0201_chart.jpg

図1 犯罪トライアングル 出典:『犯罪は予測できる』(新潮新書)

前述したように、京アニ事件の報道やコメントは、「①犯罪者」に集中し、少しだけ「②被害者」に関心が向けられただけだ。しかし、「③場所」に注目しなければ、場所の犯罪誘発性は放置され、危険なままである。企業の社長や自治体の首長には、犯行の機会を減らす努力をしてもらわなくては困る。

イギリスの「犯罪および秩序違反法」(1998年)には、犯罪機会論の施策を実施する義務が明示されている。犯罪機会論を採用していない自治体は被害者から訴えられると、内務省が警告するほどだ。

犯罪機会論は、防犯対策における世界の常識、つまりグローバル・スタンダードである。そこでは「入りやすく見えにくい場所」が危険で、「入りにくく見えやすい場所」が安全だということが確立している。ところが、日本では犯罪機会論は普及していない。それはなぜなのか。実は、その答えは、日本の歴史の特殊性にある。

プロフィール

小宮信夫

立正大学教授(犯罪学)/社会学博士。日本人として初めてケンブリッジ大学大学院犯罪学研究科を修了。国連アジア極東犯罪防止研修所、法務省法務総合研究所などを経て現職。「地域安全マップ」の考案者。警察庁の安全・安心まちづくり調査研究会座長、東京都の非行防止・被害防止教育委員会座長などを歴任。代表的著作は、『写真でわかる世界の防犯 ——遺跡・デザイン・まちづくり』(小学館、全国学校図書館協議会選定図書)。NHK「クローズアップ現代」、日本テレビ「世界一受けたい授業」などテレビへの出演、新聞の取材(これまでの記事は1700件以上)、全国各地での講演も多数。公式ホームページとYouTube チャンネルは「小宮信夫の犯罪学の部屋」。

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

米3月の卸売物価は前月比下落、前年比の伸び鈍化 見

ビジネス

グローバル債券ファンド、週間の売越額5年ぶりの大き

ビジネス

米Wファーゴ、第1四半期はコスト削減奏功 関税受け

ビジネス

米ミシガン大消費者信頼感、4月速報値は悪化 1年先
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:トランプ関税大戦争
特集:トランプ関税大戦争
2025年4月15日号(4/ 8発売)

同盟国も敵対国もお構いなし。トランプ版「ガイアツ」は世界恐慌を招くのか

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    公園でひとり歩いていた老犬...毛に残された「ピンク色」に心打たれる人続出
  • 2
    北朝鮮兵の親たち、息子の「ロシア送り」を阻止するための戦い...膨れ上がった「腐敗」の実態
  • 3
    凍える夜、ひとりで女性の家に現れた犬...見えた「助けを求める目」とその結末
  • 4
    【心が疲れたとき】メンタルが一瞬で “最…
  • 5
    クレオパトラの墓をついに発見? 発掘調査を率いた…
  • 6
    米ステルス戦闘機とロシア軍用機2機が「超近接飛行」…
  • 7
    「やっぱり忘れてなかった」6カ月ぶりの再会に、犬が…
  • 8
    「ただ愛する男性と一緒にいたいだけ!」77歳になっ…
  • 9
    コメ不足なのに「減反」をやめようとしない理由...政治…
  • 10
    関税ショックは株だけじゃない、米国債の信用崩壊も…
  • 1
    公園でひとり歩いていた老犬...毛に残された「ピンク色」に心打たれる人続出
  • 2
    ひとりで海にいた犬...首輪に書かれた「ひと言」に世界が感動
  • 3
    【話題の写真】高速列車で前席のカップルが「最悪の行為」に及ぶ...インド人男性の撮影した「衝撃写真」にネット震撼【画像】
  • 4
    健康寿命を伸ばすカギは「人体最大の器官」にあった.…
  • 5
    【心が疲れたとき】メンタルが一瞬で “最…
  • 6
    クレオパトラの墓をついに発見? 発掘調査を率いた…
  • 7
    北朝鮮兵の親たち、息子の「ロシア送り」を阻止する…
  • 8
    凍える夜、ひとりで女性の家に現れた犬...見えた「助…
  • 9
    ロシア黒海艦隊をドローン襲撃...防空ミサイルを回避…
  • 10
    「やっぱり忘れてなかった」6カ月ぶりの再会に、犬が…
  • 1
    中国戦闘機が「ほぼ垂直に墜落」する衝撃の瞬間...大爆発する機体の「背後」に映っていたのは?
  • 2
    公園でひとり歩いていた老犬...毛に残された「ピンク色」に心打たれる人続出
  • 3
    ひとりで海にいた犬...首輪に書かれた「ひと言」に世界が感動
  • 4
    「さようなら、テスラ...」オーナーが次々に「売り飛…
  • 5
    【話題の写真】高速列車で前席のカップルが「最悪の…
  • 6
    「一夜にして死の川に」 ザンビアで、中国所有の鉱山…
  • 7
    「今まで食べた中で1番おいしいステーキ...」ドジャ…
  • 8
    市販薬が一部の「がんの転移」を防ぐ可能性【最新研…
  • 9
    健康寿命を伸ばすカギは「人体最大の器官」にあった.…
  • 10
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story