コラム

推理小説の犯人当てシーンに影響? 「空気中の環境DNA」を調べれば「直前にいた人」が分かる

2024年04月16日(火)20時00分
荒れた部屋

指紋を拭ったり犯行後に掃除をしたりしても抹消できず(写真はイメージです) anaterate-pixabay

<豪フリンダース大の法科学者マリア・ゴーレイ博士らの研究チームが、部屋の空気から立ち入った人のDNAを検出し、個人を特定できる可能性を示した。空気中から証拠を検出する仕組みとは>

逃走した犯人の特定には、指紋や髪の毛、血痕といった現場に残された証拠試料の科学的な分析が大いに役立ちます。それゆえ、犯人が自分の痕跡を残さないために手袋をはめたり、犯行前に念入りにブラッシングしたりするのは、推理小説や刑事ドラマでもおなじみのシーンです。

もっとも、科学捜査は時代とともに進化しています。より少量の試料から検出できるようになったり、20世紀後半には個人の特定に威力を発揮するDNA鑑定が導入されたりして、犯人が逃げおおせることはますます難しくなってきています。

オーストラリアのフリンダース大の法科学者、マリア・ゴーレイ博士らの研究チームは、部屋の空気から立ち入った人のDNAを検出し、個人を特定できる可能性を示しました。とりわけエアコンのフィルターからは、直近にその部屋にいた人だけでなく、しばらく前に滞在した人のDNAすら採取できたといいます。研究成果は、科学学術誌「Electrophoresis」(4月2日付)に掲載されました。

科学捜査の最新技術は、どのように空気中から証拠を検出するのでしょうか。この技術が実用化すると、推理小説の犯人の描写にも影響しかねないのでしょうか。概観してみましょう。

科学捜査の歴史

犯人特定のための科学捜査は、血液や唾液、精液、汗といった体液、髪の毛や皮膚などの組織片、生体遺留物のDNA、指紋や足跡などが対象となります。

19世紀後半から西欧を中心に発展し、1893年には「犯罪科学の祖」と呼ばれるオーストリアの検事・予審判事で刑法学者のハンス・グロス氏が「刑事犯罪予審判事必携の書」を出版しました。ちょうど「シャーロック・ホームズ」シリーズが書かれた時代と重なり、作者のコナン・ドイルは当時最先端の科学捜査を作品に取り入れています。

同じ頃、スイスの生理学者ヨハネス・フリードリッヒ・ミーシェル博士はDNAの主成分と考えられる物質を発見し、「ヌクレイン」と名付けました。20世紀半ばにアメリカのジェームズ・デューイ・ワトソン博士とイギリスのフランシス・クリック博士らによってDNAの二重らせん構造が解明されると、DNAの研究は加速しました。

イギリス・レスター大のアレック・ジェフリーズ博士は85年、「ヒト特異的DNAフィンガープリント法」と題する論文を「Nature」に発表し、DNAを制限酵素で分解するとその結果には個性が現れることを示しました。この論文は警察関係者の注目を集め、世界各国の法科学の研究所でDNA鑑定を個人の特定に役立てる研究が進みました。イギリスでは86年からDNA鑑定が裁判資料に用いられ、日本でも同年より、東京大学医学部法医学教室の石山昱夫教授らによって被害者の特定や犯人の同定に利用されるようになりました。

プロフィール

茜 灯里

作家・科学ジャーナリスト/博士(理学)・獣医師。東京生まれ。東京大学理学部地球惑星物理学科、同農学部獣医学専修卒業、東京大学大学院理学系研究科地球惑星科学専攻博士課程修了。朝日新聞記者、大学教員などを経て第 24 回日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞。小説に『馬疫』(2021 年、光文社)、ノンフィクションに『地球にじいろ図鑑』(2023年、化学同人)、ニューズウィーク日本版ウェブの本連載をまとめた『ビジネス教養としての最新科学トピックス』(2023年、集英社インターナショナル)がある。分担執筆に『ニュートリノ』(2003 年、東京大学出版会)、『科学ジャーナリストの手法』(2007 年、化学同人)など。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

中国副首相が米財務長官と会談、対中関税に懸念 対話

ビジネス

アングル:債券市場に安心感、QT減速観測と財務長官

ビジネス

米中古住宅販売、1月は4.9%減の408万戸 4カ

ワールド

米・ウクライナ、鉱物協定巡り協議継続か 米高官は署
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:ウクライナが停戦する日
特集:ウクライナが停戦する日
2025年2月25日号(2/18発売)

ゼレンスキーとプーチンがトランプの圧力で妥協? 20万人以上が死んだ戦争が終わる条件は

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」だった?...高濃度で含まれる「食べ物」に注意【最新研究】
  • 2
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン化」の理由
  • 3
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される【最新研究】
  • 4
    1888年の未解決事件、ついに終焉か? 「切り裂きジャ…
  • 5
    飛行中の航空機が空中で発火、大炎上...米テキサスの…
  • 6
    ソ連時代の「勝利の旗」掲げるロシア軍車両を次々爆…
  • 7
    動かないのに筋力アップ? 88歳医大名誉教授が語る「…
  • 8
    ビタミンB1で疲労回復!疲れに効く3つの野菜&腸活に…
  • 9
    私に「家」をくれたのは、この茶トラ猫でした
  • 10
    【クイズ】世界で1番マイクロプラスチックを「食べて…
  • 1
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」だった?...高濃度で含まれる「食べ物」に注意【最新研究】
  • 2
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される【最新研究】
  • 3
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ...犠牲者急増で、増援部隊が到着予定と発言
  • 4
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン…
  • 5
    動かないのに筋力アップ? 88歳医大名誉教授が語る「…
  • 6
    朝1杯の「バターコーヒー」が老化を遅らせる...細胞…
  • 7
    7年後に迫る「小惑星の衝突を防げ」、中国が「地球防…
  • 8
    墜落して爆発、巨大な炎と黒煙が立ち上る衝撃シーン.…
  • 9
    ビタミンB1で疲労回復!疲れに効く3つの野菜&腸活に…
  • 10
    「トランプ相互関税」の範囲が広すぎて滅茶苦茶...VA…
  • 1
    週刊文春は「訂正」を出す必要などなかった
  • 2
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 3
    【一発アウト】税務署が「怪しい!」と思う通帳とは?
  • 4
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」…
  • 5
    「健康寿命」を延ばすのは「少食」と「皮下脂肪」だ…
  • 6
    1日大さじ1杯でOK!「細胞の老化」や「体重の増加」…
  • 7
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ.…
  • 8
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される…
  • 9
    有害なティーバッグをどう見分けるか?...研究者のア…
  • 10
    世界初の研究:コーヒーは「飲む時間帯」で健康効果…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story