共産党にひざまずき、少数民族を見下した「天安門事件」の闘士たち
軍の戦車に対峙する「タンクマン」(1989年6月5日) ARTHUR TSANGーREUTERS
<筆者が中国と決別した1989年、青年たちは北京の広場を目指した──。それから30年で膨張した中国に日米は手をこまねくばかり>
1989年3月末。筆者は中国から日本に留学するに当たり、北京空港で2つの決断をした。1つはたばこをやめること。もう1つは違和感ばかりが募る中国との関係を一切断つことだった。前者はうまくいったが、後者はなかなか絶縁できず、今も中国ウオッチは続いている。
日本に着いて間もなく、天安門広場に民主化を求める学生と市民が集まり始めた。彼らは民主と自由、人権擁護といった必要最低限の要求を中国共産党政権に請願したが、そのやり方は実に伝統的だった。請願書を党指導部に渡す際、ひざまずいたというのだ。独裁者に民主化の下賜を祈願しているかのような行動に、筆者は日本から応援しながら違和感が拭えなかった。
中国への違和感は既に、首都北京の外国語大学にいた1988年秋から肌で感じていた。大学で助手だった筆者は当時、後に民主化運動の指導者となる青年たちと民族問題を議論したことがある。欧米の民主制度に憧れる漢民族の青年たちは、内モンゴル出身の筆者のような他民族に対する蔑視を隠そうとしなかった。
「中国は既に少数民族を優遇している」「少数民族は漢民族よりあらゆる点で劣っており、民主化や人権制度について理解不能だろう」──。共産党が実施する民族政策で十分だと、「民主化の闘士」や「旗手」は公言してはばからなかった。
華やかさと悲惨とのずれ
1989年6月4日、民主化運動は人民解放軍の出動で容赦なく鎮圧された。犠牲者数にはいまだに論争があり、中国当局は死者319人と発表したが真相は闇の中だ。「反革命暴乱」「政治的風波」と政府が断定した後は、十数億もの国民を金儲けに駆り立てた。
それから30年たった今、世界は中国をどのように正しく位置付けるべきかを問われているように思う。
第1に中国は30年間、自国を実態以上に見せる技を駆使してきたと、中国に残って政府が用意したエリートコースを歩み続ける友人たちは口をそろえる。経済発展を示す各種統計はプラス成長にしなければ、官僚は出世できない。実際はマイナス成長でも「発展」に粉飾していれば安泰だ。そうしなければ、国家の発展を阻害する無能幹部として失脚する。
当局は実態を把握しているが、もはや粉飾を止められない。「発展」したはずの農村で、1人当たりの年収が1万円に達していない現状を筆者は近年、何度も目の当たりにしてきた。片や沿海部には世界レベルの金持ちも多い。この天文学的格差は共産党政権のアキレス腱だ。
第2に、年間十数万件の暴動が発生しても政権が安泰なのは、最先端の科学技術で国民を一人残らず監視しているからだ。中国共産党は建国以来、戸籍制度を悪用して世界有数の個人データベースを構築してきた。国家にとっての善悪を基準に国民を選別。日々の行動から思想まで把握し、干渉が可能となった。
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