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ミャンマーでエンタメとクリエイトする日々

新町智哉|ミャンマー

ミャンマーで10回目の年末年始を過ごして感じること(雑記)

ミャンマーで最も有名な仏塔シュエダゴンパゴダ南口付近:筆者撮影

おはようございます。
日本では正月休み、そして成人の日の祝日なども終えて通常モードに戻って来た感じでしょうか?
今回はミャンマーで年末年始を10回迎えた私が今回の年末年始を振り返りそこから感じる事などを雑記としてお届けしたいと思います。
現状ミャンマーは2021年2月のクーデター以降、一筋縄ではない状況が続いています。
それぞれの立場や活動している場所などが違えば見える景色も考え方も何もかもが変わってくる状況です。
あくまでヤンゴンというこれまで一度も大きな武装衝突が無かった(軍の一方的な弾圧はありましたが)街で過ごす日本人の私が見たもの感じたものという事で数ある様々な情報の一つとして受け止めていただければと思います。

本当に様々な事象があり、当然それと対峙する方によって意見も様々です。
他の意見全てに反対するわけでも賛同するわけでもない事を予めお伝えしておきたいと思います。

本題に入る前に一つお知らせです。
ちょうど一年前の今日1月11日に募集を終了した第一回ミャンマー世論調査のグラフデータを全公開しております。

クーデターから約2年経った時点でのミャンマー国民の意識がどのようなモノなのかの大きな参考になる資料だと思います。
2015年の選挙や2020年選挙の事なども含めた盛沢山の内容になっています。
是非この機会に一度ご覧になりミャンマー国民の方々の想いに触れていただければ幸いです。

それでは本題です。
私がミャンマーで初めて年末年始を過ごしたのは2014年の事でした。
まず当時のミャンマーでは日本のようにクリスマスというのが一般的ではありませんでした。
少なくとも私の生活範囲ではそう感じました。
クリスマスや大晦日、そして新年を迎えるというような感覚はミャンマー国民には無く、実際大晦日の日も1月1日も普通に仕事をしていました。
日系や外資は休みのところもありました。

2017年に4Gが導入された事が、最も大きなきっかけとなり、海外の文化が広く定着していく事になったように思います。
もともと家に固定回線でネットを引いている人は多数派ではありません。
圧倒的に多いのはスマホです。
4Gの導入によりスマホの人々が動画をスムーズに観られる環境が整った事で、私の身近なところで言うとミャンマー人のカメラマンの動画編集が一気によくなりました。

彼が言うには気になった動画の作り方を更に動画で調べて実践するようになったそうです。
他にも私の体感で言うとダンスのレベルが一気に上がったと思います。
これも世界最高峰のダンスを若いダンサーたちが真似をする事で一気に才能が開花していったのだと考えています。

このように技術的な事はもちろんですが、文化的なものも若者を中心に一気にミャンマーに浸透していったのだと思います。
文字情報→画像情報→動画情報という流れで受け取れる容量は飛躍的に上がっていったことでしょう。
2017年の10月はいつの間にかハロウィンで盛り上がるヤンゴンの街がありました。

さて、そうして海外の文化が浸透していく、悪く言うと海外にかぶれていったミャンマーではありましたが、コロナ禍そしてクーデター禍を経て少し回帰する流れがあるのかなと個人的には感じています。
例えば、コロナ前などはなんのかんので年末年始を休みにしたりというような流れもあったのですが、今年に関してはまったく平常運転でした。

もちろんヤンゴンでは一部の富裕層などがカウントダウンパーティーをやっていたりというような事はあったそうですが、多くの一般人はひっそりと過ごしたように思います。
こんな時なので自粛してという考えもあったのかもしれませんが、ミャンマーの正月は4月にあり、西暦で祝う文化ではありませんでした。
そもそもそういったお祝い事は静かにお祈りをして過ごすものだという事もあると思います。

ハロウィン、クリスマス、ハッピーニューイヤーというような海外由来のイベントがコロナ前より盛り上がっている感覚は無いのですが、元来あったお祭りやお祝い事などは小さなローカルコミュニティではしっかりとやっている様子が伺えます。
この前の独立記念日も近所で人が集まったりしているのが見えました。
こういった時に近所の人たちとミニ運動会みたいなのをやる事があります。
もしかするとコロナ禍、更にはクーデター禍を経て海外との関係性が以前より希薄になった分、改めて文化の見直しという事が起こっているのかもしれません。

それは後退なのか、新たな発展へのステップなのか?
その是非はわかりかねますが、ミャンマーの人たちが今ある中で精一杯生きている証の一つだと感じています。
そこにはやはり純然たるエンタメの要素があり、それは言い換えれば文化であると思います。
仮初の民主化とは言え約10年の間に一気に進み過ぎた様々なものを今じっくり見直しているところなのかもしれません。
とはいえ、これをクーデターの功罪の功の部分だと言いたい訳ではありませんし、全くそうは思っていません。
そもそもクーデターが起こっていない世界線でどのような文化の変性が起こっていったかなど確かめようもないことですから。

ただ、愚かな人々が起こした大きな人災の中でも人々はその時々で一生懸命生きようとしている結果、一度立ち止まり文化の見直しなんかが起こったりするものなのかなとこの国で生きるものとして複雑な感情で人々を眺めている自分がいます。

そんなこんなでヤンゴンの年末年始を平常運転で変わらず過ごしています。
次回は2021年の立ち上げ前から長らく一緒に活動をしている「ミャンマーの民主化を支援する信州の会」についてお話ししたいと思っております。

それでは、また明日。

 

Profile

著者プロフィール
新町智哉

映像プロデューサー。2014年からミャンマー最大都市ヤンゴンに在住。MAKE SENSE ENTERTAINMENT Co.,Ltd. GM。日緬製作スタッフによる短編コメディ「一杯のモヒンガー」でミャンマーワッタン映画祭のノミネートを皮切りに世界各国の映画祭で受賞。起業家、歌手、俳優としてもミャンマーで活動する。

Twitter:@tomoyangon
Instagram:tomoyangon
note:https://note.com/tomoyaan

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