ミャンマーでエンタメとクリエイトする日々
ミャンマーの国で暮らす日本人が9年という年月を迎えて思う事
おはようございます。
ヤンゴンから新町がお送りしております。
今回は特にテーマなども決めずダラダラと今思う事を書いてみたいと思います。
とりとめもない文章でまとまりも無くなると思いますがお付き合いください。
その前に一つお知らせです。
毎週配信を始めて90回。
そして毎週放送後記という事でエッセイを書き続けて40回以上になります。
noteにて毎週連載しております。
お時間ある時に読んでいただければ幸いです。
2014年からミャンマーに住むようになってから9年が経ちました。
遂にミャンマー生活10年目という事になります。
9年といえば日本の義務教育期間と同じ長さ。
奇妙な縁が繋がり長くこの地にお世話になっています。
戻って来てから毎日停電をくらっています。
もっとも停電が酷かった時よりはマシですが、それでも生活全般がかなり不便な事にはかわりありません。
日本とは全く違った生活がここにはあります。
私たち日本人であれば「いざとなったら日本に帰る」という選択肢があります。
当たり前の事ですが、これは本当に大きな違いだと思います。
逃げ場のない今のクーデター禍でミャンマー人のみなさんは一体どういう心持で毎日を過ごしているのか?
想像する以上の事は私には出来ません。
わかった気になるのが一番愚かな事だというのはこの2年で充分学んできました。
大変な中それでも歯を食いしばって生きているこの国の人たちに自分なりに寄り添って生きていきたいと願う毎日です。
どうも表現が大層な感じになってしまうのですが、本当に私一人の力など大した事はないと思っています。
この9年そう思わされる事ばかりでした。
ミャンマーの9年間というのはそのほぼ全てが失敗の歴史だったと言っても間違いないと思います。
ただ、そんな中でも私にとって素晴らしい出会いは沢山ありました。
少なからず成長もできたと思います。
クーデター以降、ツライ日々もありましたが、ミャンマーに残った事に後悔はありません。
そして、自分の人生の大きな指針にエンターテインメントを置いた事も意義のあったことだと思います。
人間は本当に大変な時、エンタメどころではないというのは間違いないと思います。
ですが、そんな人たちにこそエンタメは必要だというのが私の持論です。
少なくとも私が観てきたクーデター禍で苦しんでいるミャンマーの人々にこそ必要だと強く感じています。
昨日の記事にも書きましたが、6年の年月をかけてようやく絵本「えんとつ町のプペル」ミャンマー語版を制作し、ミャンマーの子供たちに届ける活動を始める事が出来ました。
ポカンとしている小さな子供たちもいましたが、凄く喜んでくれた子もいました。
あの子たちにとってこの物語が大きな力になっていくことを願っています。
そして、「こんな方法もあるんだな」と沢山の人にこの活動を知ってもらいたいなと思います。
日本人の皆さんには勿論ですが、ミャンマー人の皆さんにも、もっと沢山の人々に知って欲しいなと思っています。
絵本を受け取った子供たちは間違いなく恵まれていない子供たちです。
これから私が絵本を配ろうとしている子供たちもそういった境遇にある子達なのは間違いありません。
そんな子供たちが少しでも笑顔になれるように活動を続けていくと共に、この子達の未来の為に、この国を少しでも良くしていく事を目指して仲間を増やしていきたいと考えています。
ミャンマー生活9年。
10年目に入ったこの旅は思いもよらず随分長いものになっています。
まだまだ旅の終わりは見えません。
もう少しだけこの地で頑張っていこうと思います。
こんなおかしな日本人がミャンマーで頑張っていることを知っていただけたら幸いです。
それではまた。
著者プロフィール
- 新町智哉
映像プロデューサー。2014年からミャンマー最大都市ヤンゴンに在住。MAKE SENSE ENTERTAINMENT Co.,Ltd. GM。日緬製作スタッフによる短編コメディ「一杯のモヒンガー」でミャンマーワッタン映画祭のノミネートを皮切りに世界各国の映画祭で受賞。起業家、歌手、俳優としてもミャンマーで活動する。
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