ミャンマーでエンタメとクリエイトする日々
ミャンマー語版、絵本えんとつ町のプペル出版までの道のり
皆さんおはようございます。
今日も元気にミャンマーエンタメについて発信していきたいと思います。
梅雨の中休みでしょうか?
熱中症には気を付けて頑張っていきましょう。
今回は表題の通り絵本出版までについて手短に語っていこうかと思います。
詳しく語ると巻物が全何巻までいってしまうかわからないので今回の記事で収まる程度にしていきます。
お付き合い願います。
その前に一つお知らせをさせてください。
クラウドファンディング【ミャンマーの子供たちへ絵本「えんとつ町のプペル」を届けたい!!】がスタートしております。
おかげ様で初日に目標額の20%を突破する事ができました。
様々な方からの支援、そして沢山のメッセージなどいただいております。
人生初のクラウドファンディングにして大勝負だと思っています。
どうか引き続き応援よろしくお願いします!
それでは本題です。
ミャンマー語版、絵本えんとつ町のプペルを出版しようと思い立ったのは今から6年程前の2017年の12月頃になります。
私は西野亮廣エンタメ研究所というオンラインサロンに2017年7月から現在も参加し続けているのですがこのオンラインサロンがきっかけでミャンマーでの絵本出版を目指す事になります。
出版を目指してから初期は割とスピーディーに話が進んで行ったのですが、その後様々なトラブル(主に私のミャンマーでの事業での)などが重なり続け随分長い間、出版がとん挫していたのでした。
もっとも大きかったのは以前にも記事に書いたフリーペーパーの運営でしょうか。
ミャンマーフリーペーパー事業myan myan廃刊とSatWyne誕生秘話
何を隠そうこの事業に費やした資金、実は絵本を出版して広げるのに使おうと思っていたものだったのです。
勿論、この事業に資金を使うと決めたのは経営者の私なので最終的な責任は私にあるのは言うまでもありません。
しかも、結局この事業は1年かけて露と消えてしまった訳で(6月ですが、シャレではありません)目も当てられない状況でした。
そして2020年、自分の会社としては大変な時だったのですが、再び出版に名乗りを上げて頑張ろうとします。
実際本当に会社存続も厳しい時ではあったのですが、だからこそ希望を持って頑張ろうともがいていたのかもしれません。
そう、えんとつ町のプペルの物語のように
そしてミャンマーでのコロナ明けの希望が見えかけた2月1日、軍事クーデターの発生で正直絵本の出版どころではありませんでした。
しかし、もうここまできてしまったら絶対にやり切らないといけないという事なのだと逆に奮闘する理由にして突き進みました。
勿論2017年に思い描いた出版の形、販売の形は全て通用するハズがありません。
その時とはミャンマーの情勢があまりに違い過ぎます。
「今」この素晴らしい作品を使って出来る事は一体なんなのか?
自分にしか出来ない事は一体なんなのか?
それを考え続けたクーデター禍から2年と4カ月の孤独な戦いでした。
今回の子供たちへのエンタメ支援という形が果たして正解だったのか、私は勿論誰もわからないことだと思います。
少なくともミャンマーでやっている人はいなかったので。
ただ、私としては選んだこの道を正解に持っていくしかないと強く感じています。
チャレンジングで素敵な未来というのはきっと向こうからやってくるなんてお気楽なものでは無くて、とにかく手繰り寄せ続けた結果なのかなとボンヤリと見えてきたところです。
まだまだこの物語は完結していません。
6年間もがき続けた男の答えが一つ出ようとしています。
どうか、ワクワクしながら見届けていただけたらエンターテイナーとしてこの上ない喜びとなります。
引き続きご注目いただけたらと思います。
それでは、また。
著者プロフィール
- 新町智哉
映像プロデューサー。2014年からミャンマー最大都市ヤンゴンに在住。MAKE SENSE ENTERTAINMENT Co.,Ltd. GM。日緬製作スタッフによる短編コメディ「一杯のモヒンガー」でミャンマーワッタン映画祭のノミネートを皮切りに世界各国の映画祭で受賞。起業家、歌手、俳優としてもミャンマーで活動する。
Twitter:@tomoyangon
Instagram:tomoyangon
note:https://note.com/tomoyaan