ミャンマーでエンタメとクリエイトする日々
ミャンマー最大都市ヤンゴンで過ごす年末
皆さんこんにちは。
日中の最高気温32度、全く年の瀬感がないミャンマー最大都市ヤンゴンからお送りしておりますこの「ミャンマーでエンタメとクリエイトする日々」(久しぶりに自分でもタイトル認識しました)
いかがお過ごしでしょうか?
早いもので2022年も間もなく終わりを迎えようとしております。
月並みですが、ミャンマーでの様々な活動について、そしてこのWorld Voiceでの連載の1年を振り返ってみようと思います。
特に着地点は今の時点では思いついていないので取り留めもなく書き綴っていこうと思います。
年末年始ちょっとした空き時間にでも読んでいただけたら幸いです。
一つお知らせをさせてください。
毎週配信しております「ミャンマー言いたい砲台ラヂオ」年内最後の放送が28日水曜日にありました。
今年最後の言いたい放題、恐らくいつもより時間を延長してお送りしています。
ここでもこの一年を振り返っていますのでアーカイブを是非お聴きください。
それでは本題です。
実はこれを書いている前日に体調を崩して寝込んでいました。
朝から体調は悪いなとは思っていたのですが、夜になり本格的に熱が出て来て夜中には38.5度まで上がっていました。
久しぶりに熱が出ているのに寒気がするという体験をしました。
私は普段「持病が風邪」というくらいしょっちゅう風邪を引いているのですが、とはいえ大きく体調を崩すという事はなく、何とかコロナの脅威にも晒されずに済んでいるのかなと思ってはいます。
勿論今回のは熱が下がったとはいえコロナの可能性もあるので年末年始引きこもる予定です。
そんな昨日だった訳ですが、午前はzoomでNFT勉強会。
午後は映画エッヂポイントの脚本会議していました。
因みに間の時間はベッドでグッタリしていました。
楽しい事、やらなければいけない事などは体調が悪くても何とか脳内麻薬を出して乗り切れるタイプです。
さて、上記の二つとも勿論ガッツリミャンマーに関連しています。
NFTの説明などはこの際省きますが、暗号資産やDAOなどを使ってミャンマー人アーティストの支援が出来ないかという事をずっと考えていたところ、既に似たようなことに取り組んでいる人たちがいたので、実際にやっている事やこれからの為に考えている事を共有して今後に活かそうという取り組みでした。
それぞれこのNFT界隈の知識の量なども様々ですが、非常に実りのある会だったと思います。
ここからどんな風に展開していくかは未知数ではありますが、またワールドボイス読者の皆さんにも良い報告やお知らせが出来ると良いなと考えています。
そして午後の映画脚本会議。
こちらは私が今考えている映画企画の脚本についてです。
現役のプロの脚本家の方にロングプロットと呼ばれる(長めの粗筋)を基にあーでもないこーでもないという話し合いをさせていただきました。
手前味噌ではありますが、名作が産まれる予感がしています。
こちらも引き続き注目していただけたらなと思います。
最近でこそ少し変わってきましたが、もともとミャンマーには年末年始という感覚はあまりありません。
こちらの正月は4月なので12月から1月に変わるというだけなのかもしれないです。
日系企業などは日本に合わせて休みになったりもしますが、私がミャンマーに来た2015年の元旦は普通にオフィスに行っていつもと変わらず働いていたのを覚えています。
当時はハロウィンやクリスマスもそう盛り上がる事はありませんでした。
少しずつ国際化が進んで来たからか最近では少し年の瀬感を感じるようにはなってきています。
2022年はミャンマーの歴史上でみても特殊な年になると思います。
まだ今の段階では私でもその感覚は少ないのですが、軍のクーデターから1年が過ぎた状態で、軍側も国民側も決め手を欠いたまま進んだ1年だったのかなと個人的には思っています。
そんな中私としてはやはりエンターテインメント業界での動きがあったのが気になっています。
ミャンマー発の映画がベルリン国際映画祭で受賞をしたニュースなどは本当に凄い事だなと思います。
私の周りでも芸術家やアーティスト達が活動を再開しています。
正しく言うと活動を表に出すようにしてきています。
まだまだその活動は危険を伴うもので、どこまでやれば大丈夫なのかというマニュアルもありません。
ワンストライクがスリーアウトになってしまう今のミャンマーです。
私の友人であるミュージシャンのHtam Hkayも今年の1月に軍から指名手配を受けてしまい、潜伏生活をせざるを得なくなってしまいました。
これだけ素晴らしい作品を作り、支持されているアーティスでさえ今のミャンマーで活動する事は非常に困難なのです。
それでも彼は今も製作活動を続け、そして恵まれない人たちへの支援も続けています。
何とか私も友人である彼らの支援が出来ないものかと無い頭を捻って考え続ける日々です。
彼らと一緒に仕事をして、ミャンマーの将来を夢見ていた日々が懐かしいです。
あの時は本当に勢いも希望も夢も今とは比べ物にならないくらいあったと思います。
その時には気付きませんでしたが、失ってみて(失わされて)始めて気付く事なのかもしれません。
それでも。
それでもミャンマーの人たちは諦めてはいません。
どんなに大変な状況でも、したたかに、しなやかに日々を生き抜こうとする力を私はここヤンゴンからも感じています。
ミャンマーの一部では経済活動も再開し、それなりに様々な事が循環しているようにも感じられる事があるのは事実ですが、そんな都市部ヤンゴンでも毎日死人は出ている訳です。
それは様々な形でです。
少なくともクーデター前まではそんな事が起こっていなかったことを考えると今が平時と勘違いしてはいけないなと自分を戒めるところです。
地方の戦闘、とりわけ軍の市民への弾圧などは本当に酷いものがあります。
一時期のロシアがウクライナに行っていたことにも決して引けを取りません。
ミャンマーへの関心が更に高まるように私も頑張って発信を続けていきたいと思っています。
ミャンマーに住む一人の日本人エンターテイナーとして出来ることをこれからも考え続けていこうと思います。
取り留めない話になってしまいました。
次回は引き続き今年の振り返りをしたいと思います。
もう少し違う角度からお話できると良いなと考えていますので、お付き合いいただければ幸いです。
それではまた明日。
著者プロフィール
- 新町智哉
映像プロデューサー。2014年からミャンマー最大都市ヤンゴンに在住。MAKE SENSE ENTERTAINMENT Co.,Ltd. GM。日緬製作スタッフによる短編コメディ「一杯のモヒンガー」でミャンマーワッタン映画祭のノミネートを皮切りに世界各国の映画祭で受賞。起業家、歌手、俳優としてもミャンマーで活動する。
Twitter:@tomoyangon
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