World Voice

ミャンマーでエンタメとクリエイトする日々

新町智哉|ミャンマー

ミャンマーにおけるコロナ禍の一年

筆者撮影。4月の末、久しぶりに会った近所の花売りの子達全員から花を買って、Yakultを上げました。

皆さんこんにちは。

ミャンマーからエンタメ発信、新町です。
現在毎日投稿継続中です。
今日で12日目。
これまでの投稿も良かったらご覧ください。

正直ミャンマーは今、コロナどころではない大変な時と言えるのですが、実際去年から世界中でコロナ禍の中、ミャンマーはどんな様子だったのかというのを現地のリアルな様子を中心にお話ししたいと思います。

2020年3月。
私たちはMyanmar Snoicというヤンゴンで音楽フェスをやろうという活動をしていて、本番が3月の14日の予定でした。
そこからわずか5日前、コロナの状況に鑑みてこのイベントを延期にしました。

まだ国からイベントについての指示などは出ていない状況ではありましたが、日本での様子なども参考に問題の大きさを考えての苦渋の選択でした。
そして、予定日の前日の13日、国からイベントを自粛するようにとのお達しが出ました。
正にギリギリセーフの決断になりました。

3月23日、ミャンマーで初の感染者が出ます。
医療体制、検査体制などが日本などに比べてしっかりしていないミャンマーにおいてこれは氷山の一角と思われ、かなりの危機感を覚えてのを記憶しています。
果たしてこの国の医療体制で乗り切れるのだろうかとは現地日本人皆が考えた事だと思います。
そしてこの後、「3日後に空港を閉鎖します」というビックリするような発表があります。
マスクが高騰しました。
そもそもこの国では日本のようにマスクをする習慣がなかったのでどうなることかと思ったのを覚えています。

4月
空港は閉鎖されたのですが、日本大使館などの助力もあり、救援便という形で成田―ヤンゴン間の直行便は4月の10日頃までほぼ毎日の運行を許されました。
おそらくこの間に3000人居た日本人の半数以上の日本人が一気に帰国したと思われます。
そしてロックダウンに入ります。
しかし、ミャンマーのロックダウンも日本の形に非常に近かったように思います。
特に厳しい罰則が発表されたりはしなかったようですが、それでも国民は大規模な行動制限を守りました。
一年に一度の水かけ祭りの時期も外には出ずに封じ込めに協力をしたのです。
今思えば、これが長い長い苦難の時の始まりでした。

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恐る恐る外に出た時の様子です

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日中は基本渋滞しているようなこの辺りも車はおろか人もまばらな有様でした。

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近所のスーパーも人はまばら、しかしこの時も自転車便の人たちは頑張ってくれていました。

あんなに賑やかだったヤンゴンの街が、そして一年でももっとも盛り上がるこの祭りの時期にまるでゴーストタウンのようになった風景をみて愕然としたのを覚えています。
4月はとにかく全ての活動が自粛しているような状況でした。
弊社も丸々休みにしました。

5月、6月、様々な情報が錯そうし、どのように営業を再開したら良いのかなどが非常に難しいところでした。
何とか出来る範囲をという事で、弊社は出社人数が5人以下になるように調整をし、出来る限りのリモートワークもしくは自宅待機ということで対策しました。

検査の数字などでは驚くほど検査陽性者の数は少なく、ミャンマーはうまく封じ込めできているという風には見えました。
しかし、ミャンマーの人々もその結果に懐疑的ではあり、中々自粛の雰囲気もなくなりません。
夜間外出禁止も引き続き続いていました。

8月
中旬から後半にかけクラスターとも呼べるレベルで感染者が一気に増加しました。
この頃は検査の数も当初4月辺りの一日200件程しかできなかったのが、2000件程の規模になっていました。
この後更に検査数は増えていき、最終的に一日2万件超の検査が可能になります。
そして、全体で数百名程度だった陽性者数がこの頃には、一日にミャンマー全土で100人を超す日も続きました。
ミャンマーでの第二波到来という事で二度目のロックダウンに入りました。

11月
2015年以来の国会議員の総選挙になります。
それまで5人以上で集まらないようにというコロナ対策があったのですが、何故か政治活動であれば30人までOKなど、
謎なルールも出来る中、ご存知の通り選挙はNLDの圧勝で終わります。
その時は水祭りや、ダディンジュの2大祭りを自粛したうっぷんを晴らすかのようにヤンゴンの街は大騒ぎでした。

この時は今観たいな事態になるとは想像もできませんでした。
コロナが心配ではありましたが、世界的に気持ちが沈んでいる中、この若者達の盛り上がりでまたこの国は良い方向に突き進むんだろうなという予感だけが強くありました。

12月
選挙などの明らかな密な状態があり、大丈夫かとは思っていましたが、それほど陽性者が増えたというような事はありませんでした。
しかし、あくまで発表されている数字なので、本当にそうかは慎重にみないとは思いながら年を越します。

2021年1月
この頃には再びコロナの緊張感は緩んでいるという感じではありました。
街でもいたるところで営業を自粛していたお店が開いていくし、マスクをする人も前より随分減ったなと感じました。

2月~
コロナ禍からの復活へ希望が見えてきたところでした。
4月頃からはコロナで一時帰国しっぱなしだった大手企業駐在の人間も戻って来るというような話もチラホラ出ていたところでのクーデタ―禍です。
コロナは吹っ飛んだ感がありました。
マスクをキチンとしているのは偉いなと思いましたが、デモは3密もいいところです。
しかしもう国民はそれどころではなかったのでしょう。
検査数は10分の1の規模にまで縮小され一日2000件程になっていました。
ですが、検査陽性者は20名~というような推移で増え続けるというところにはいきませんでした。

3月
検査陽性者数は数名~50名というところでバラつきがありました。
これは検査の方法が一律的に行われていなかったという事もあると思います。
そしてそもそも軍関係のところでしか検査が行われていなかったというように考えらえていたので国民の大多数はこの数字を気にもしていなかったんではないでしょうか。
普段マスクをする人はあまりみなくなってきていました。

4月
水祭り、今年は国からの自粛要請などはありませんでしたが、国民の多くは反意を示す意味もあり、今年もお祭りをしませんでした。
ヤンゴンではマスク不着用の罰則などで捕まったという情報が流れ、私の近所でも一時的にマスクの着用率が上がりましたが、それも2,3日だったような気がします。
日本人の友人が余ったワクチンを打つ機会があったそうです。
一定数のワクチンが入ってきているようですが、どのようにこれから国民に接種させていくのかはまだ不透明だと思います。

本当にザックリとこの一年を振り返ってみました。
細かい数字などは正確性に欠ける部分もあるかもしれません、ご了承ください。
大まかな概算として捉えていただければと思います。

振りかえってみると、2月以降とそれまでとは様々なステージが違い過ぎるというところではあるので、日本との単純な比較はできないところではありますが、医療機関の全体的な規模でいうと小さなミャンマーがコロナに関しては割と押さえ込めているようにも見えます。
重症化リスクの低い若者世代が多いという事もあり、これまで被害はそこまで広がってこなかったのかなとも感じているところです。

ですが、今またミャンマーの周りの国でも感染が広がっていると聞くので果たして影響はどのように出るのかと危惧しています。
変異株の話なども聞くのでワクチンの普及もうまくできればと願っています。

日本もコロナは大変な様子です、最前線で頑張る医療関係の方々そして関係各位の皆様ご苦労さまです。
家族や、友人たちも心配ですが、ミャンマーの事もどうか引き続ききにしていただけたらと思っています。

ミャンマーの人たちは強い人たちです、コロナにもそして、今のそれ以上の苦難も乗り越えていけると信じています。
またあの子達に笑顔でヤクルトを渡せる日が来て欲しいと願っています。

それではまた明日。

 

Profile

著者プロフィール
新町智哉

映像プロデューサー。2014年からミャンマー最大都市ヤンゴンに在住。MAKE SENSE ENTERTAINMENT Co.,Ltd. GM。日緬製作スタッフによる短編コメディ「一杯のモヒンガー」でミャンマーワッタン映画祭のノミネートを皮切りに世界各国の映画祭で受賞。起業家、歌手、俳優としてもミャンマーで活動する。

Twitter:@tomoyangon
Instagram:tomoyangon
note:https://note.com/tomoyaan

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