南米街角クラブ
【日本⇔ブラジル】ボサノヴァ歌手 ミカ・ダ・シルヴァさんにインタビュー
「日本に行ったら注文ができなくて空腹で倒れるかも~」と日本語の難しさを面白おかしく伝えたYoutube動画が2000万回近く再生されているブラジル人コメディアンのウィンダーソン・ヌネス。
その動画はツアー中のホテルで簡易的に撮影したもので、彼の本業であるスタンドアップコメディ(マイクを片手に観客の反応を見ながら行う即興話芸)の動画は再生回数が1億回を超えている。ブラジル国内のショーは常に満席、インスタグラムのフォロワー数はネイマール、ロナウジーニョ、アニッタに続く超有名人だ。
そんなウィンダーソン・ヌネスが今月来日した。
静岡市で開催されたショーは4,626席のホールがほぼ満員。来場者はほとんどが在日ブラジル人だったようだが、ショーのクライマックスに登場したコーラス隊の中に、1人の日本人女性の姿があった。
その女性とはミカ・ダ・シルヴァさん、静岡市出身の歌手である。
ミカさんはコーラス演出を担当していたブラジル人男性からインスタグラム経由で直々にオファーされ、ウィンダーソン氏と共演することになった。担当者は、ポルトガル語で歌うミカさんのYoutube動画を気に入って連絡をくれたそうだ。
インターネットのおかげで、思いがけない機会に恵まれることが増えている。
私もそれを有効活用し、ミカさんにインスタグラム経由でメッセージを送った。少しお話を聞けないかとお願いしたところ、快く快諾してくださった。
|ブラジル音楽との出会い
「私がボサノヴァを歌い始めた頃は、今のようにSNSが盛んじゃなかったんです。もっと上手くなりたくて、人伝えにポルトガル語を話せる人をさがして、やっと見つかった!と思ったらスペイン語スピーカーだった。笑 東京だったらもっといろんな機会があったかもしれないけど。だから、もう思い切ってブラジルに行っちゃおう!って思って...」
zoomを通して、ミカさんは当時を振り返りながら話してくれた。
ミカさんは地元の静岡市でジャズを歌っていた頃にボサノヴァに出会った。
英語で歌われるボサノヴァとは違う、メロディに寄り添うポルトガル語の美しさとリズムに魅了された。また、声量がある方ではないミカさんにとって、ボサノヴァの弾き語りスタイルは完璧だった。ガットギターの音の柔らかさと自分の声が非常によく馴染んだのだ。
|初めてのブラジル滞在
こうしてミカさんは2005年、単身ブラジルへ渡った。
初めてのブラジル、初めての海外、そして初めての飛行機だった。 ポルトガル語が殆ど話せない状態でリオデジャネイロに到着したミカさんは、最初の一ヶ月間だけ日本の留学エージェントを通してホームステイ先を確保した。
空港からタクシーで市内へ向かう途中、ファベーラ(貧困層が暮らす丘)が見えた。信号待ちをしている時にやってきた物乞いは小さな子供だった。ミカさんはブラジルの現実を目にして、これからひとりでやっていけるだろうかと不安になったそうだ。
|ボサノヴァを感じる日々
ボサノヴァは50年代後半のリオデジャネイロで生まれた。
国内での人気は一時的なもので、アメリカ合衆国で流行し始めた頃、本国ではボサノヴァの影響を受けた新しい音楽が注目を集めていた。
つまりトラディショナルなボサノヴァは、ブラジル国内よりも国外で長く成功することになるのだが、それでも故郷リオデジャネイロにはボサノヴァのファンなら絶対に訪れたい場所が今でも大切に残されている。
ミカさんはホームステイ先の家族と一緒に、ボサノヴァの名曲に登場するコルコバードの丘やコパカバーナの海岸、名曲「イパネマの娘」が生まれたバーを訪れた。 ポルトガル語が話せなくても、空気でリオデジャネイロとボサノヴァを感じることができた。
|東洋人街とポルトガル語
ホームステイ先のホストマザーがサンパウロへ行く機会に合わせ、知り合いの知り合いを頼ってサンパウロに2週間だけ滞在してみることにした。
リオとサンパウロの雰囲気は全く異なる。
サンパウロはボサノヴァの風景とはかけ離れているようにみえるが、実際にはボサノヴァを商業的に成功させた重要な場所である。
東洋人街リベルダージに辿り着いたということもあり、日本人や日本語を話せる友人が増え、知りたかった情報や、やりたかった事がスムーズに動き始めた。こうしてミカさんは静岡県人会を頼りに自力で新しい滞在先をみつけ、ポルトガル語のレッスンを始めた。
ポルトガル語の勉強、ライブ鑑賞、パンデイロ(ブラジルの打楽器)のレッスンと忙しい毎日。いつもギターを背負って出かけ、バーで飛び入り演奏をさせてもらった。
着いたころは自分の歌が訛っていることすら気付いていなかったそうだが、ポルトガル語の勉強とバーの飛び入り演奏を重ね、ついにはサンパウロで自身の単独ライブを開催するまでとなった。
|「カラオケ界のペレ」との出会い
サンパウロでの暮らしにも慣れてきた頃、ギターの弦を張り替えるためにブラジル人女性と結婚した日本人ギタリストの自宅を訪ねた。
同じマンションに「カラオケ界のペレ」と呼ばれるブラジル人がいるから会ってみないかと言われ、ボサノヴァを勉強するためにわざわざブラジルまでやってきたミカさんは正直あまり乗り気になれなかったが、ご夫妻と一緒に尋ねてみることにした。
「カラオケ界のペレ」の正体は、サンパウロのカラオケ大会で何度も優勝経験をもつホベルト・カザノバさんだった。
このカラオケ大会とは、日本の歌、主に演歌の歌唱コンクールで、リベルダージを中心に日本人移民やその子孫が暮らす地域で開催されている。筆者自身もカラオケ大会のバンドで演奏をしたことがあるが、その規模は想像を超えるものである。
ホベルトさんは非日系ブラジル人だが、父親の仕事の関係でリベルダージに住むようになり、日本文化を身近に感じながら育ったそうだ。
ホベルトさんと会ってみたら意気投合したというミカさんに、こんな質問をしてみた。
「ミカさんがボサノヴァで、ホベルトさんが演歌。お二人の音楽性は正反対ですよね。どんなところに惹かれたんですか?」
「そう。音楽面では全然違いますね。当時、ホベルトさんはトチって言う名前の黒いトイプードルを飼っていたんです。その愛犬と遊ぶ姿がとっても愛らしくて。だから人として好きになったんです」
|帰国、新たな生活と新たな可能性
当初は「最低でも1ヶ月はブラジルで暮らしてみよう」と考えていたミカさんだったが、サンパウロでの充実した生活もあり、延長したビザが切れるまでの6ヶ月間滞在してから帰国した。
ホベルトさんはミカさんと一緒に日本で暮らしたいと決意し、2人は結婚。家族呼び寄せのビザを取得し、静岡市で2人の新たな生活が始まった。
ブラジル修行で得たものを活かすようにミカさんが演奏活動を再開すると、夫ホベルトさんもゲストとして数曲歌うようになった。
ホベルトさんの優しい歌声と圧倒的な実力は評判になり、ステージに立つ機会も少しずつ増え、2010年にはNHKのど自慢で五木ひろしの「契り」を歌ってグランドチャンピョン(日本一)に輝いた。
その快挙は母国ブラジルにも伝わり、ブラジルのテレビ番組出演やコンサート出演の依頼を受けるようになった。
次第に、夫婦揃ってのコンサート出演の依頼も増えていく。ミカさんはホベルトさんのレパートリーをギターで覚え、ホベルトさんはミカさんと演奏するためにブラジルの打楽器を覚え、2人で演奏できるレパートリーが増えていった。
|歌詞がもつ力
夫で歌手のホベルトさんは日本のテレビ番組にも度々出演している(photo by Taru Farias)
筆者は音楽をやっている身として気になることがあったので、インタビューの終わりにこんな質問をしてみた。
「ミカさんが最初に話してくださった通り、ボサノヴァはブラジルで"声を張り上げない歌い方"を生み出したきっかけでもありました。一方で、ホベルトさんの歌は見事にこぶしが効いています。夫婦で共演する時、音楽性が原因でぶつかり合うことはありますか?」
ミカさんは即答してくれた。
「声は個性だから。いかにお互いの良さを潰さずに馴染ませるかを考えています。そのため、私たちは選曲でそれをカバーしている感じですね」
「じゃあ、やっぱりミカさんがポルトガル語でボサノヴァを歌って、ホベルトさんが日本語で演歌を歌うんですか?」
「基本的にはそうです。でも、歌はやっぱり歌詞が大切だと思います。ポルトガル語の曲を歌う時は事前に歌詞を説明しますが、やっぱり日本語の歌詞も素晴らしい。今は私も日本語の曲をライブのレパートリーに入れるようになり、お客さんからも好評いただくことが増えました。これはホベルトさんのおかげなんです。ホベルトさんに会っていなかったら、私はライブで日本語の曲を歌うことがなかったかもしれません。反対に、ホベルトさんも今ではブラジルの曲を歌うようになったんですよ」
|日本とブラジルの架け橋になる
ミカさんは演奏活動だけでなく、テレビやラジオのパーソナリティー、講演会出演にてブラジル文化を広める活動をし、その成果が讃えられフォーカス・ブラジル財団からプレスアワードを受賞。日伯交流120周年記念テーマソングのレコーディングにも参加した。
今月開催された浜松市のブラジリアンデー(独立記念日を祝うイベント)にもホベルトさんと共に出演、来月には青山で行われるボサノヴァのイベント『Bossa Aoyama』にも参加する。
2人の共演は、ボサノヴァが好きな人に日本語の良さを伝えられる機会でもあり、日本の音楽が好きな人にブラジルの音楽を知ってもらう機会でもある。
日本とブラジル、2つの国を舞台にし両国の架け橋として活躍できる2人だが、それを続けていくためには、契約時の言葉の壁や文化の違いも考慮しなければならず、お互いの協力が欠かせないとミカさんは話していた。
お互いの魅力をうまく引き出し合うことができるミカさんとホベルトさんのパワーは、「2人で1つ」というより、「2人で2倍」になっていると感じた。
最後に2人の今後の活動について聞いてみた。
「最近、企業から楽曲制作の依頼を受けオリジナル曲を作る機会がありました。今まではリスナーさんが聴きたい曲に応えることが多かったのですが、今後は2人にしかできないオリジナルの音楽を作る事にも力を入れていきたいです」
ミカ・ダ・シルヴァ公式サイト https://www.mikadasilva.com/
ミカさん、ありがとうございました!
著者プロフィール
- 島田愛加
音楽家。ボサノヴァに心奪われ2014年よりサンパウロ州在住。同州立タトゥイ音楽院ブラジル音楽/Jazz科卒業。在学中に出会った南米各国からの留学生の影響で、今ではすっかり南米の虜に。ブラジルを中心に街角で起こっている出来事をありのままにお伝えします。2020年1月から11月までプロジェクトのためペルー共和国の首都リマに滞在。
Webサイト:https://lit.link/aikashimada
Twitter: @aika_shimada