南米街角クラブ
日本でブラジル国旗をみつけてみよう!そこはリアルなブラジルの世界
緑と黄色。
この二色はブラジルカラーとして本国ブラジルだけでなく、世界中のブラジル好きから愛されている。
去る11月19日はこのブラジルの象徴である二色を決めたブラジル国旗の日だった。
ブラジル帝国がポルトガルの植民地から独立したのは1822年9月7日、日本では江戸時代後期にあたる。
その数日後、独立の先頭に立ったペドロ一世が自らこの緑と黄色を選び、彼のお気に入りだったフランス人画家のジャン=バティスト・デブレによって最初の国旗が作られた。
ブラジルの幼少教育ではこの二色はブラジルの植物、金と称される事が多いそうだが、実際には
緑: 現在のポルトガルにあたるルシタニアの人々が、中世にムーア人が侵略してきた際、自由を象徴した色
黄色: ポルトガルの国章の一部もしくはハプスブルク=ロートリンゲン家の象徴的な色
ではないかと観察されている。
その後、帝政から共和制に移行した1989年、大臣によってアメリカ合衆国の星条旗に似た国旗に変わったが大統領が反対。
4日後の11月19日、現在ブラジルの国旗として親しまれるものに変更された。
ひし形の中の円にある26つの星は、1889年11月15日20時に当時の首都リオデジャネイロ市の空で観測された星座の位置に従って描かれ、それぞれの星が各州と連邦直轄地を意味しているが、天文学的に位置が正確ではないという意見も上がっている。
また、白い帯には"秩序と進歩"というフランスの哲学者オーギュスト・コントの言葉が書かれている。
|ブラジル人は国旗が大好き?
ブラジルでは比較的日常的に国旗が使われている。 例えば、日本でも人気が出たブラジルのブランド『ハワイアナス』の定番ビーチサンダルにも国旗モチーフが使われている。
また、"ヴェルデ"(緑色)と"アマレーロ"(黄色)はブラジル人の心の色として楽曲の中でキーワードとされることが多い。
スポーツの世界大会やブラジル独立記念日も緑と黄色に埋め尽くされる。
ちなみにブラジルの国旗は縦に掲げることは法律で禁止されている。
|"デカセギ"ブラジル人とブラジル国旗
日本でも、このブラジル国旗をよく見かける街がある。
その一つが群馬県大泉町。 この街は大手企業の工場が集まっている。
そこで働く外国人労働者たちの生活を支える輸入品を扱うスーパーマーケットやレストランにブラジルの国旗が飾られたり、看板に緑と黄色が使われている。
ブラジルに日本移民が多い話は今までもお話ししているが、日本にもブラジルから来た居住者が多いのはご存じだろうか。
1970年前半*1、経済的な急成長を見せたブラジルも、そのしわ寄せから1970年代後半からインフレに苦しむことになる。
そこで日本移民の子孫である日系ブラジル人は賃金が良かった日本で"デカセギ"を始めるようになった。
1990年には日本の入管法が改正され、日本で働きたいと希望する日系ブラジル人が更に増えた。
"デカセギ"はその名の通り、数年契約で日本で働き、お金を貯めてブラジルへ帰るものだったが、日本での生活に慣れて永住する人も増えていった。
私も10年ほど前に実際に大泉町に行ったことがあるが、街中で見かけるのは外国人ばかり。看板はポルトガル語、レストランではブラジルの家庭料理や珍しい地方料理も食べられる。
夜はブラジルからのDJを迎えたブラジルの最新音楽がかかるクラブイベントにも行ったが、私たちのように町外から来る日本人は相当珍しかったようだ。
*1... 1970年のブラジルについてはこちらの記事を参照してほしい "僕らはボサノヴァが歌われた「あの頃」をしらない"
|大泉町居住者の5人に1人は外国人
大泉町は外国人居住者向けのお店だけでなく、ポルトガル語で学べる外国人学校もあり、今ではデカセギの街から日本で外国人が共に生きる街として、地域のサポートを受けながら、「秩序ある共存のまちづくり」を目指している。
年に数回、世界10ヵ国のグルメや文化が集まる野外イベントや、ブラジルの6月祭りフェスタ・ジュニーナ*2も開催。
かつてブラジリアンタウンと呼ばれていた大泉町も、現在はネパールやベトナムなどアジア系外国人も増え、インターナショナルタウンとして今後注目されていくだろう。
*2... フェスタ・ジュニーナはブラジルでポピュラーなお祭り、参照 "【新型コロナウイルスによる死者累計50万人】6月祭りも過ぎ去り、いつになったらハグできるのだろう"
|東京で体験できるリアルなブラジル
大泉町以外にも、浜松や愛知県、岐阜県、三重県などにもこういった在日ブラジル人に親しまれる街が多い。
ブラジル人が多い地域でブラジル気分を味わうこともできるが、東京にリアルなブラジルを体験できる貴重なお店がある。
東京西荻窪にあるコミュニティスペース「Barzinho Aparecida」は、まるでブラジルにいるような感覚になれるお店だ。
店内にはブラジル音楽のCDやレコード、ブラジルに関する本の取り扱いの他、ブラジルのお酒カシャッサや料理を味わうこともできる。
素晴らしいのが、店内の椅子やテーブルやコップ、ナプキンペーパー入れまでブラジルで一般的に使われるもの。 ライヴだけでなくホーダと呼ばれる参加型の音楽イベントやポルトガル語講座、ブラジル料理教室なども開催されている。
ブラジルの代表的な料理フェイジョアーダは絶品!(photo by Aika Shimada)
|日本とブラジルを通い続けて
店主のWillie(ニックネーム。日本人です。)さんは学生時代からブラジル音楽などのレコードやCD収集、楽器演奏などをしていた。
就職してからは聴く専門になり、都内のレコード屋で見たことがない作品は片っ端から聴いていた。
まとまった休暇が取れるチャンスを活かして念願のブラジルへ。
弾丸旅行の間、楽しみのレコード屋巡りをした際、聴いたこともないような音楽がヒットチャートに並んでいるのを見てショックを受けたそうだ。
それからは有料チャンネルで観ることが出きたブラジルのテレビ局をチェックし最新のブラジル情報を入手。
前述した群馬県の大泉や浜松のお店にも頻繁に通ったそうだ。
その後、ブラジルへ通いながら現地情報を入手し、そのリアルなブラジルの現状を伝えるために執筆にも力を入れ始め、2006年にはブラジル好きな人たちが集まれるコミュニティ・スペース、アパレシーダを開店した。
|"ブラジルだったらVale Tudo(なんでもあり)!"
実は、私も日本にいた頃このお店の常連客だった。
当時ポルトガル語がわからなかった私にとって、日本語で書かれた本、ディスクガイドやワールドミュージックを扱う大きなCD店のおすすめ情報のみが頼り。 インターネットでコツコツと情報収集している時にみつけたのがアパレシーダだった。
外から見えるブラジル国旗、ポルトガル語のポスターで埋め尽くされた階段を上がった先の扉を一人で開けるのにドキドキ。
「きっとボサノヴァが流れているに違いない」と思っていたにもかかわらず、全く聴いたことがないような最新ブラジル音楽が流れていて、凄いところに来てしまったと一気に緊張したのを覚えている。
もしかするとWillieさんがブラジルに行った時のショックに似ていたかもしれない。
その日、初めてブラジル料理とブラジルの飲み物を口にした。
それまで音楽が好きでもブラジル人が何を食べているか、どんな生活をしているか等と考えたことがなかったので、とにかく店内の雰囲気に圧倒されっぱなしだった。
その数ヶ月後にはWillieさんが毎年希望者を募って行うブラジルツアー*3に参加。
一週間ほどブラジルに滞在し「いつかブラジルに留学したい」と思い始め、夢かなって今に至る。
*3... 現在ブラジルツアーは新型コロナウイルスの影響で休止中
|ブラジルはまだまだ遠い国?
お店に通い始め、初めてブラジルへ降り立ってから気づいたのは、日本に入ってくるブラジルの情報というのは氷山の一角にしかすぎず、"日本人好み"にセレクトされたものだという事だ。
そのため、今でもブラジルで一番人気のある音楽セルタネージョ・ウニヴェルシターリオ*4が日本で紹介される事は殆ど無い。
やはり日本で一般的に知られているブラジル音楽は、今でもアメリカ経由で紹介されたボサノヴァが軸となっているように感じる。
*4... 参考 "ブラジルで最も聴かれている音楽セルタネージョ・ウニヴェルシターリオとは?"
私たち日本人が相撲とアニメ以外に知ってほしい日本文化があるのと同じように、ブラジル人もサッカーとサンバ/ボサノヴァ以外に知ってほしい文化が沢山あるはずだ。
そうは言いつつもブラジルは日本から最も遠く、簡単に行ける場所ではない。
そんな時こそ、是非ともブラジル国旗のあるお店を訪ねてみてほしい。
あなたのブラジルに対するイメージが大きく変わるだろう。
著者プロフィール
- 島田愛加
音楽家。ボサノヴァに心奪われ2014年よりサンパウロ州在住。同州立タトゥイ音楽院ブラジル音楽/Jazz科卒業。在学中に出会った南米各国からの留学生の影響で、今ではすっかり南米の虜に。ブラジルを中心に街角で起こっている出来事をありのままにお伝えします。2020年1月から11月までプロジェクトのためペルー共和国の首都リマに滞在。
Webサイト:https://lit.link/aikashimada
Twitter: @aika_shimada