南米街角クラブ
オリンピックと共に考える、「ファンキ・カリオカはブラジルを代表する文化」と言えるのか
|究極のパーティー音楽"ファンキ・カリオカ"の誕生
その始まりは1970年代のリオデジャネイロにあった。
社交場には生演奏が付き物だったブラジルにて、レコードの登場でDJがパーティーに呼ばれるようになり、元大学の地理教師だったが大の音楽好きが高じてラジオ局のDJに転職したビッグボーイことニウトン・アウヴァレンガが、ボタフォゴにあったシュハスコレストラン"カネカォン"でDJを始めた所、大盛況。
ビッグボーイはジェームズ・ブラウンからビートルズまで非ポルトガル語のロックやソウル、アメリカのファンクをかけまくり、その流行は飛び火していった。
しばらくしてアメリカのヒップホップがブラジルに届くと、マイアミスタイルはリオで、ニューヨークスタイルはサンパウロで定着した。
その後、リオのパーティーでは、アメリカでマイアミビートと名付けられたビートの上にポルトガル語の歌詞を付けて歌われるようになった。
ファンキ・カリオカ史の中心人物の一人、DJマルボロは「パーティーではこのマイアミスタイルのヒップホップが中心となったが、それまでアメリカのファンクをかけていたという流れで、この音楽がそのままファンキと呼ばれるようになってしまった」とインタビューで話している。
ファンキ・カリオカ(カリオカはリオっ子の呼称)はこうして生まれたのだ。
ちなみに何故ファンクではなくファンキかと言うと、ポルトガル語でFunkはファンキと発音するからである(同じようにFacebookもフェイスブッキと呼ばれる)。
ファンキの歌詞は、初めは自分たちのコミュニティ(貧困層が住む地区)やグループ単位で「俺たちが一番だ!」と叫ぶようなスタイルが主流だった。
ビートのサンプルに和音が付いていなかったため、誰でも気軽にメロディを考えて歌うことができたのが特徴である。中にはドレミにできない程音痴な人もいたが、そんなことは重要ではなかった。
やがてコミュニティ/グループ賛歌を歌うファンキパーティーはエスカレート。
暴力沙汰になり、死人が出る事態になると、元々アンチ・ファンキだった層だけでなく、パーティー参加者もファンキに対して否定的な意見を持ち始めた。
そんな時、チジーニョ・イ・ドカのドュオが歌った"ハッピ・デ・フェリシダーデ"(幸せのラップ)は、「ただ幸せになりたい。コミュニティを平穏に歩きたい」という人間なら誰でも望むメッセージが歌われて大ヒット。
この頃からファンキは貧困層だけでなく幅広い層に聴かれ始めた。
こうしてファンキは貧困層のある丘を下り、次第に中流階級の人々も巻き込んでいった。
ビートもアフロブラジル文化マクレレをベースにしたものが登場し、より一層ブラジルらしさを強めた(今ではこのビートこそファンキの核となっている)。
それでもファンキには暴力・ドラッグ・麻薬取引というイメージがこびりついていたため、路線変更が始まる。
犯罪的なイメージから脱するように、ロマンティックな恋愛を描いた楽曲や、セクシュアルな楽曲が市場を独占することによって、パーティーが男女の社交場であることを示すようになる。
それが今でも続くファンキの傾向である。
加えて、スラムの日常、サクセスストーリーや、中にはプロテストソング的な歌詞の楽曲も存在する。
チジーニョ・イ・ドカが"furacão 2000"に出演
"furacão 2000"はこの番組やアルバム制作、ショーなどファンキをプロデュースする重要なグループだ
|ファンキはブラジルを代表する文化と言えるのか
ヘベッカの振付師が選んだ"バイリ・デ・ファベーラ"は2015年から2016年に大ヒットしたMCジョアンの楽曲だ。
ジョアンはサンパウロ郊外の街で育ち、17歳で父親を亡くしてからは配達員として働き家族を養った。
サンパウロ生まれの彼が作ったファンキは、正確にはファンキ・カリオカではなくファンキ・パウリスタ(パウリスタはサンパウロっ子の呼称)に分類される。
メロディは楽曲通してたった5つの音で作られており、歌詞も特に深い意味はない。
それが良かったのか人々の耳にこびりついて離れなくなり大ヒットした。
私も嫌というぐらい街中でこの曲を聴いたのを覚えている。
YouTubeで再生回数1億回を越えた初のファンキだ(現在は再生回数2億回越え)。
ビデオクリップを観ていただけらおわかり頂けるように、現在ファンキの象徴は女性によるセクシュアルなダンスと男尊女卑とも思えるスラングの連発だ。
和訳を紹介したいと思ったが、当てはまる日本語がみつからない。それほど過激なのである。
ファンキは貧困層のサブカルチャーからブラジルのメインカルチャーに移りつつある(いいや、既に移っている)が、どうしても大人がこれを認めないと言うのが現実だ。
「もし自分の娘(もしくは息子)がファンキ・パーティーに行ってたらどう思うか」という街頭インタビューでは、殆どの親が、ファンキパーティーだけでなく、ファンキ音楽自体に否定的な意見を述べ、麻薬取引や暴力事件、性犯罪などに巻き込まれることが心配する声を挙げていた。
また、その歌詞やダンスが原因でエリート層やフェミニストから嫌悪されているのも、ファンキが公にブラジルの顔にならない理由だろう。
それでも人気を誇り続けているのには、一定の層から変わらぬ強い支持を受けているからだ。
ファンキがオリンピックで流れたことは、ファンキ否定組に「ついに認めざるを得ない」という気持ちを抱かせたに違いない。
ちなみに、"バイリ・デ・ファベーラ"は2018年にボウソナロ大統領を支持するミームとして再ヒットしたため、この選曲が大統領に対するオマージュだというフェイクニュースが流れたが、振付師と楽曲のミックスを担当したミサエル・パッソス・ジュニオールは、この選曲に政治的な意味はないとニュースを否定。
更にミサエルは「アスリートがより良いパフォーマンスを発揮するために必要な音楽を作ることだけを考えています。これ以上何もありません」と回答している。
最後に近年ヒットしたファンキを1曲ご紹介して終わりたい。
MCポーズィ・ド・ホードはリオデジャネイロのスラム街ホード出身の20歳。
スラム出身の彼が、「若くして富を得た」と歌うこのビデオクリップを観て、第二のポーズィを目指したいという少年、少女が出てくるだろうか。
著者プロフィール
- 島田愛加
音楽家。ボサノヴァに心奪われ2014年よりサンパウロ州在住。同州立タトゥイ音楽院ブラジル音楽/Jazz科卒業。在学中に出会った南米各国からの留学生の影響で、今ではすっかり南米の虜に。ブラジルを中心に街角で起こっている出来事をありのままにお伝えします。2020年1月から11月までプロジェクトのためペルー共和国の首都リマに滞在。
Webサイト:https://lit.link/aikashimada
Twitter: @aika_shimada