スタートアップ超大国 インド~ベンガルールからの現地ブログ~
「地理」から見てみる中印国境紛争
この数カ月の動向として、中印国境紛争が熱戦を帯びて両国の対立がエスカレートしつつあります。
今回は、「地理」の見地からなぜインドと中国が衝突しているのか整理していきます。
1.「地理」からみたインドの立ち位置
まずは、インドの地理についておさらいしましょう。インドの地理関係は以下のように図示することができます。インド亜大陸の北部の大部分をヒマラヤ山脈に守られ、西部を砂漠地帯(タール砂漠)に守られ、東部をアラカン山脈に守られて、上手く外敵からの侵入を防ぐことができている配置となっています。
しかし、北部方面のジャンム&カシミール地方、東部のバングラデシュ方面、北東部のヒマラヤ山脈近郊を突破されると国防の観点から危うくなります。加えてインド亜大陸対岸に位置するスリランカを他国に抑えられてしまうと、沿岸部の防衛がおろそかになってしまう恐れがあります。
(Google Mapより筆者作成)
加えて、海洋面でみると、インド沿岸部にはムンバイ、チェンナイ、コルカタといった良港が揃っており、海上物流の基幹を担っています。しかし、以下の図のようにパキスタン、バングラデシュと中国で囲まれてしまうと包囲網が形成されてしまい、安全保障上、危険な状態に陥ってしまうと言えるでしょう。
過去の歴史を遡ると、例えばムガル帝国もアフガニスタン方面からモンゴル系民族の末裔として、始祖のバーブルがアフガニスタン方面のカイバル峠を越えて北部インド方面からデリーへ侵攻し「ムガル帝国」を立ち上げ、また、大英帝国もスリランカを植民地セイロンとして確保し、更に沿岸部(コルカタ、チェンナイ、ムンバイ)から侵攻してインドを植民地化していったのです。
(Google Mapより筆者作成)
2.中国の膨張政策のおさらい:一帯一路政策
インドの地理的な位置をおさらいしたところで、中国の膨張政策についても触れてみましょう。
真っ先に「一帯一路」政策が挙げられるでしょう。この一帯一路政策は2014年のアジア太平洋経済協力会議で習近平国家主席が提唱した広域経済圏構想です。
この構想は「陸のシルクロード」と「海のシルクロード」の二つの交易路からなり、これらの広大な地域への経済開発、インフラ投資、貿易振興を促進する内容となってます。「陸のシルクロード」は中国からユーラシア大陸経由でヨーロッパへ至るまでの陸路となり、「海のシルクロードは」中国沿岸部から東南アジア、南アジア、アラビア海、アフリカ東岸部をつないで行く海路となっています。
この一帯一路政策には陸路・海路ともに以下のように複数の経済回廊が構想されており、パキスタン、ミャンマーもその重要な回廊の一部として位置付けられています。
(Google map、各種資料より筆者作成)
3.なぜ中国はチベット・ヒマラヤ山脈方面へ固執するのか?
一帯一路政策に加えて、中国がチベット・ヒマラヤ山脈方面へ固執する理由としては、「水源確保」が目的と考えてもよいかもしれません。ヒマラヤ山脈は古来、インダス川、ガンジス川、ブラマプトラ川、黄河、長江といった巨大河川の重要な水源となり、古代の四大文明であるインダス文明、黄河文明を育んできた歴史的背景があります。
しかし、近年の急速な工業化と人口爆発で中国内では「三峡ダム」に代表されるように水資源確保が急務となっており、このチベット・ヒマラヤ山脈方面への介入も豊かな水源確保の一環と見なすことができるでしょう。加えて水源を管理して水資源の調整権も上流で手に入れてしまえば安全保障上・国際関係上、下流域の国に対して優位に立てるという計算もあるはずです。
過去の水源紛争に関する様々な文献や研究でヒマラヤ山脈の水源を巡り中印の対立可能性について指摘したものが多く散見されます。
4.中国によるインド向け「真珠の首飾り」包囲網
中国はパキスタン、スリランカ、バングラデシュ、ミャンマーのインフラ建設(主に港湾)に対して積極的な投資を実施しています。
この政策の中で、中国はマラッカ海峡を経てインド洋、アラビア海、アフリカ沿岸部を繋いで港湾設備も開発させ、点と点をつなぐ海上戦略をとっています。
このシーレーンの中で重要になってきているのが、この4か国(パキスタン、スリランカ、バングラデシュ、ミャンマー)の各港湾の接続が挙げられます。これらの港群を点と点として繋ぐと、綺麗にインドを包囲する形となり、インド亜大陸を包囲する「真珠の首飾り」(この呼称はアメリカ合衆国国防省レポートより)と呼称されています。この政策の目的としては、シーレーン独占による海上優勢の確保、インドの海上封じ込め、アフリカ・アラブ方面からの石油輸送の安全確保が挙げられます。
インドの地理図と合わせるとこのような包囲網が形成できます。
(Google Mapより筆者作成)
5.インドによる中国逆包囲網
「一帯一路」と「真珠の首飾り」でインドを封じ込めようとしている中国ですが、インドもただ黙っているだけではなく、更に広範な包囲網を形成していようとしています。
まず、ロシアについては、ソ連時代から「中ソ対立」を利用する形で、中国と対立していたソ連にインドが味方して、インド・ソ連間で長年の協力関係を構築してきました。ロシアになった今でもそれは変わっていません。もし中国がユーラシア大陸や極東方面、欧州方面でのロシア権益を侵略しようものならロシアは黙っていないはずです。
続いて、日本ですが、森首相から歴代首相が培ってきた蜜月関係が今も続いています。日本にとってインドは欧米方面に次いで最重要戦略パートナーとして位置づけており、インド洋から日本海に繋がるシーレーン防衛は両者の利害を一致させています。これは、安倍首相が提唱している「自由で開かれたインド太平洋」構想を指します。直近で安全保障面で「物品協定」が締結され、自衛隊とインド軍との間で物資の融通が可能となりました。中国を意識して、より緊密な連携が図られていくのは明白でしょう。オーストラリアも中国への強硬姿勢を強める中、インドと包括的パートナシップを締結し日本も加えた防衛協力も進めています。
最後にアメリカですが、米中貿易戦争が深まる中、GAFA(Google, Amazon, Facebook, Apple)を筆頭にアメリカ系企業が続々とインド向け投資を活発化させ、2020年2月にもトランプ大統領が訪印したタイミングでもインド重視を明言していたので、対中方面での連携は採られていくことでしょう。
インドを取り巻く外交関係を点と線で結んでみると、中国をシーレーンで包囲し、ロシアと陸路で挟むことで逆包囲ができそうな状態になっています。更に太平洋方面からアメリカ合衆国も加えれば包囲網を多層化できそうです。
(Google mapより筆者作成)
ブログを書いていたら、日本の政権も安倍首相から菅首相に変わりましたが、日印関連の報道を見る限りでは、対インド政策も安倍首相時代のものから変わりはないのではないか、という印象を受けました。
菅総理大臣は、インドのモディ首相と電話で会談し、「自由で開かれたインド太平洋」の実現に向けて、両国が役割を果たすとともに、アメリカやオーストラリアを含めた多国間の連携も進めていく考えを示しました。
NHK報道(2020年9月25日)より引用
6.今後の展望
さて、ここまで「地理」からみた中印国境紛争の要因を整理してきました。シーレーン確保と水源確保が大きなキーワードになっています。
しかし、もっとマクロな視点を見ると、中国は多方面で対立の火種を抱え過ぎのように見えます。以下のリストで見てみましょう。
【中国が抱える対立の火種】
■太平洋方面:第一列島線、第二列島線で日米両国との対立
■東南アジア方面:ベトナムとの南沙諸島領有をめぐる対立が、東南アジア諸国の反中ムード醸成
■ヒマラヤ山脈方面:インドとの対立
■イスラム諸国:ウイグル問題による対中感情悪化
古来より、作戦正面が広すぎて兵站等が維持できず敗北することは、第一次世界大戦の中央同盟国(ドイツ、オーストリア)・第二次世界大戦の枢軸国(ドイツ、イタリア、日本)、ナポレオン戦争時のフランス帝国というように、歴史が示しています。現実に戦火が発生して戦線になっていないとはいえ、対立となる火種が中国にとっては東西南北各方面で多すぎるように見えます。
いくら中国が世界最大の人口規模を誇るとはいえ、このまま多方面同時展開をしていても国の体力が持たないので、どこかの方面で妥協点というか折り合いをつける動きが出てくると個人的には予想しています。その展開に合わせて、ヒマラヤ方面でもインドとの落としどころを探してくるように考えられるでしょう。
いずれにせよ中印国境紛争は目を離すことができないトピックなので、引き続き現場から動向を注視していきます。
著者プロフィール
- 永田賢
Sagri Bengaluru Private Limited, Chief Strategy Officer。 大学卒業後、保険会社、人材系ベンチャー、実家の介護事業とキャリアを重ね、2017年7月に、海外でのタフなキャリアパスを求めてYusen Logistics India Pvt. Ltdのベンガルール支店に現地採用社員として着任。 現地での日系企業営業の傍ら、ベンガルールを中心としたスタートアップに魅せられ独自にネットワークを構築。2019年4月から日系アグリテックのSAgri株式会社インド法人立ち上げに参画、2度目のベンガルール赴任中。
Linkedin: https://www.linkedin.com/in/satoshi-nagata-42177948/