シアトル発 マインドフルネス・ライフ
アメリカの若者が直面する「タナトス」〜死への欲動〜
「今年はコロナ禍に負けずに、楽しく前向きに生きよう!」と親子で話していた矢先に、悲しいニュースが飛び込んできた。新学期が始まった翌日、子どもの通っている高校の生徒が自殺したというメールが校長から届いたのだ。ご遺族の苦しみと悲嘆は想像を絶するものがあり、ただただ亡くなった生徒の魂が安らかに眠り、ご遺族や関係者の苦悩が少しでも和らぐのを祈るばかりだ。いまだに勉強が手につかず悲嘆にくれている生徒も多い。一人の死は、友達や先生、コミュニティ全体にも大きな影響をおよぼす。2018年の調査によると、一人の自死が家族や友人、学校や職場を含めたさまざまな人々の135人に対して精神的に大きな打撃や深刻な影響をおよぼすとしている。
アメリカの自殺率はそんなに高くないイメージがあるが、実は10~24歳の自殺率は日本よりも高い。とくに10~14歳という思春期前期における自殺率がきわめて高く、日本の10万人中1.3人(自殺者数71人・2016年調べ)に比べてアメリカでは10万人中4.45人(自殺者数596人・2018年調べ)であり、日本の約3.5倍にのぼる。また、15~24歳という思春期後期~若年成人期における自殺率もアメリカでは10万人中14.25人(自殺者数6,211人・2018年調べ)で、日本の10万人中12.1人(自殺者数1,431人・2016年調べ)より2.15人(10万人中)多いという調査結果が出ている。
日本の10~34歳の自殺者数は3,920人(2016年調べ)であり、死因の1番目が「自殺」であるのは「G7の中でも日本のみ」とよく言われるが、アメリカでも同年層の自殺者数は1万4,827人と意外に多い。しかし、それよりも死因の1番目である「不慮の事故」が3万7,350人と断トツで多いため、自殺が死因の2番目になっているだけだ。しかも、この「不慮の事故」には、「薬物の過剰摂取」および「交通事故」による死も含まれているのだ。
薬物を過剰摂取して死んだ人の多くは、その際に遺書や電話、メールなどで自殺意図を明らかにしていない場合「意図しない事故」と判断され、自殺ではなく不慮の事故に加えられる。実際に、以前働いていたクリニックで担当していた昔のクライアントが薬物の過剰摂取により死亡したと元上司から連絡を受けた際、そのクライアントは薬物依存と自殺衝動から救急搬送された事が以前に何回もあったので、自殺だととっさに思ったが、「調査が入ったが自殺かどうかは分からない」という事だった。うつ症状や希死念慮から逃れるために薬物やアルコールに依存するようになったそのクライアントの死は、おそらく「不慮の事故」に加えられた可能性が高い。こうした人々を自殺に加えると、アメリカの自殺率は大きく跳ね上がるのではないかと個人的には思っている。
ほかにも、自動車事故で死んだ場合も家族に保険金が下りるので、死のうとして自動車事故を起こそうと考える人も多い。そのため、自殺リスクの診断の際には「故意に自動車事故を起こそうと思ったことはありますか」と質問するようにしている。こうして亡くなった人もまた、その多くが「不慮の事故」に加えられていると推測される。
ちなみに、アメリカの10~34歳における死因の3番目に当たるのは殺人で、1万人以上にのぼる。世界有数の安全な国である日本では、2017年に発生した殺人事件は全体でわずか307件であり、アメリカ(1万7284件)と比べて56倍の1と極端に少ない。殺人をフロイト流に解釈すれば、人間の持つ攻撃性や破壊性、つまり「タナトス (死への欲動)」が外に向けられたものであり、タナトスが向けられる対象が自分になると、それが自殺になる。自殺と他殺は表裏一体をなすものであり、攻撃性や破壊性がどちらに向けられるのかの違いである。デュルケームの古典的研究である『自殺論』でも、戦時下の国では自殺率が下がるとされ、ほかの調査でも自殺率が高い国は殺人による死者数が少ないとされているが、人間の攻撃性や破壊衝動の発露や均衡の取り方が、社会情勢や文化的背景によって異なるとも解釈できるだろう。
自己破壊衝動は非常に強いエネルギーであり、アメリカで自殺を試みた人に対しての調査では、自殺をしたいと思って行動に移すまでの時間は、48%の人が10分以内だったと回答している。
(参照:ハーバード大学公衆衛生校)
つまり、その最初の10分をやり過ごせれば、半数の命が助かる可能性があるのだ。アメリカ疾病予防管理センターによると、アメリカでは銃による自殺が2万4,432人(10万人中7.5人)と自殺者の半数近くを占めている。また、薬物の過剰摂取による死は10万人中20.6人にのぼる。もし、自殺衝動が起こった時、友人や家族、自殺予防ホットラインのスタッフと話すことができたり、命を奪う凶器や薬物を使う事ができなければ、救えた命もたくさんあっただろう。
日本でも、厚生労働省の調査によると、自殺者の32.8%からアルコールが検出され、飲酒量に比例して自殺で死亡する危険性が高くなるという結果が出ている。飲酒が逆に孤独感や絶望感を高めて衝動的に自殺に駆り立てることもわかっているので、自殺予防の要となる「安全計画」にはこうした凶器や薬物・アルコールへのアクセス制限を具体的に明記して実行する事が不可欠だろう。
ソーシャルメディアで楽しそうな笑顔の写真を掲載していても、その実はどうしようもない不安や孤独感に襲われ、そこから逃れるために自傷行為や薬物乱用を繰り返すアメリカの若者はとても多い。肥大化するタナトスに対処するには、それを否定して見ない振りをするのではなく認める事、「正しくない」と裁くのではなく理解しようとする事、そして、自分自身を許してただ受け入れていいんだと繰り返し自分に伝える事だろう。そうして、少しずつ希望や安心感が出てきたら、「死への欲動(タナトス)」は生きたいという「生への欲動(リビドー)」に変わっていく。
死にたいという自己破壊的な気持ちをタブー視したり否定的に解釈するのではなく、誰もが持つ欲動であると理解して直視する事で、自己破壊・自己否定への衝動は人生において取り組むべきタスクのひとつとなる。そして、それを乗り越えるための様々なスキルを磨く事が、自分らしさとレジリエンス(強靭性)の獲得につながり、内的に成熟した大人へと成長する道なのだろうと思う。
著者プロフィール
- 長野弘子
米ワシントン州認定メンタルヘルスカウンセラー。NYと東京をベースに、15年間ジャーナリストとして多数の雑誌に記事を寄稿。2011年の東日本大震災をきっかけにシアトルに移住。自然災害や事故などでトラウマを抱える人々をサポートするためノースウェスト大学院でカウンセリング心理学を専攻。現地の大手セラピーエージェンシーで5年間働いたのちに独立し、さまざまな心の問題を抱える人々にセラピーを提供している。悩みを抱えている人、生きづらさを感じている人はお気軽にご相談を。