England Swings!
地下鉄から心に寄り添う詩を届ける、オール・オン・ザ・ボード
ロンドンの街を歩いていると、たまにふっと笑ってしまうことがある。本来なら電車の遅延を伝えたりパブの宣伝をしたりする掲示板に、何の関係もない言葉やイラストがユーモラスに書かれていたりするからだ。たとえば、こんな風に。
上の写真は地下鉄の駅の掲示板に書かれたメッセージだ。「ハッピー・マンデー。楽しい月曜日を。もしブルーだとしても、すばらしいあなたのことだから、どんな色にも塗りかえられるね」通勤や通学で慌ただしく電車に乗ろうとしている時にこんな言葉を目にしたら、ふっと力が抜けて、月曜だけどがんばろう、なんて思えそうでしょう?
このメッセージを書いたのが、今日ご紹介するオール・オン・ザ・ボード(All on the Board)だ。ロンドン交通局職員のイアン・レッドパスさんとジェレミー・チョプラさんの2人のユニット名で、彼らは地下鉄の駅員として働きながら、詩という形で掲示板にメッセージを書き続けている。
始まりは2017年のことだった。2人がその日に勤務していたノースグリニッジ駅は、大規模なライブやスポーツ・イベントが開催されるO2アリーナの最寄駅だ。その日英国出身のミュージシャン、クレイグ・デイヴィッドのライブがあったので、2人で話しているうちに、デイヴィッドの曲名や歌詞を織り込んだちょっとした詩ができた。せっかくだから彼のファンにも見せたいと思いつき、目の前にあった掲示板にそれを書き込んでみた。「そこには『右側通行』としか書かれていなかったから」という軽い気持ちだった。
掲示板を出してすぐに、多くのファンが立ち止まって詩を読んだり、写真を撮ったりし始めた。その顔には微笑みが浮かんでいて、それを見た2人は、「ファンもハッピーで、掲示板もハッピーに見えたから、おかげで僕らもハッピーになった」。
それ以来、2人は掲示板に詩を書き続けている。当初は、地下鉄の仕事がしにくくなるからと匿名で活動していて、仮面まで被っていた(そこまでやったのかと思うと、ちょっと笑える)。彼らの詩が話題になり始めても仮面を被っていたので、「地下鉄のバンクシー」と呼ばれることもあった(注:バンクシーは匿名で活動する英国の超有名ストリート・アーティスト)。
2020年、それまでの詩が初めて書籍化されたのを機に、2人は名前と顔を明かすことにした。このInspirational Quotes from the TfL Underground Duo(『ロンドン地下鉄2人組のポジティブになる言葉』筆者仮訳)という本は、サンデータイムズ紙のベストセラーに選ばれ、オール・オン・ザ・ボードはメディアで大きく取り上げられるようになった。
SNSでも発信される彼らの詩は、世界にも広がっていて、120万人を超えるインスタグラムのフォロワーには、ロイヤルファミリー(のアカウント)のほか、アメリカの元大統領夫人のミシェル・オバマの名前もある。著名人アカウントからのシェアも多く、地下鉄に乗って自分の目で掲示板を見にくるセレブリティーもいる。2022年には2冊めのYou Daily Companion(『日々をともに過ごす言葉』、筆者仮訳)も出版された。
著者プロフィール
- ラッシャー貴子
ロンドン在住15年目の英語翻訳者、英国旅行ライター。共訳書『ウェブスター辞書あるいは英語をめぐる冒険』、訳書『Why on Earth アイスランド縦断記』、翻訳協力『アメリカの大学生が学んでいる伝え方の教科書』、『英語はもっとイディオムで話そう』など。違う文化や人の暮らしに興味あり。世界中から人が集まるコスモポリタンなロンドンの風景や出会った人たち、英国らしさ、日本人として考えることなどを綴ります。
ブログ:ロンドン 2人暮らし
Twitter:@lonlonsmile