World Voice

ベネルクスから潮流に抗って

岸本聡子|ベルギー

コロナ検査と追跡 : アウトソースの闇 (イギリス)

(backtard@Prodction-iStock)

5月中旬からデンマークでは12歳以上のすべての人は症状がなくても無料でコロナのPCR検査を受けられるようになったことを前回書いた。私が住むベルギーでは、調子の悪い人は、行きつけのホームドクターにアポを取って検査を受ける。大学生の遊び人息子が熱が出たといって検査を受けたときは内心ヒヤヒヤだった。家族の中では行動の見えない彼のリスクが一番高い。電話したその日に検査を受けて、翌日には結果が出た。陰性。そして費用は通常のホームドクターの診察料と同じの27ユーロ。その8割は医療保険ですぐに戻る。結果的にうちの家族は4人とも検査を受けた(夫と次男はデンマークで、私は日本で)。
 半分デンマーク人の夫とどうしてデンマークでこのような検査体制が可能なのかなぁと話した。彼が最初に言ったのは、強くて効率的な公的セクターの存在。もちろん医療も含む。ナショナルテストセンターは中央政府と5つの県政府、大学機関、病院などが協力して迅速に作られた。製薬会社の財団も費用、人材を提供した。そしてデンマークの国民番号に基づくID制度のNemIDというデジタルなインフラが効率的な実行を可能にしているようだ。NemIDは個人と国家をつなぐポータルで、個人は税、福祉、医療などの行政的な履歴や情報を蓄積している自分のポータルにアクセスできる。デンマークは国連が発表した世界の電子政府ランキングで2018年と2020年に1位になっている。
 私はどちらかというと非デジタルな人間で、オンライン決済も電子マネーも否応なく使っているタイプ。しかし今日電子化の話題を避けることはできないし、NGOの中でもデータ主権やデータトラスト(個人データが守られるという信頼)は大きなテーマになっている。こと、行政サービスにおいては国家や自治体の個人データ保護の信頼は必須である。デンマークが政府や企業の汚職度、腐敗度が最も低い国NO1(2014年、トランスペアレンシーインターナショナル)であり、選挙の投票率が90%近いという背景は、個人と国家の信頼と無関係ではないだろう。
 検査体制と陽性者接触者の追跡 (test and trace)を巡ってかなり対象的でスキャンダルにまで発展している英国と比較するとますます興味深い。首相のボーリス・ジョンシンがコロナに感染し、NHS(国民保健サービス)のスタッフに救われたと涙ながらの感謝を述べた姿を見た人も多いと思う。NHSは公共サービスを全面的に民営化したイギリスで唯一かろうじて残っている公的な医療制度だ。しかしその実態は、意図的に公的資金が削減され続け、アウトソーシングが目一杯進み、ぎりぎりの運営を強いられている。
 そういうところにパンデミックが襲った。私がここ数年一緒に仕事をしているWe Own Itという団体がある。3人の女性が数年前に始めた小さなNGOは、イギリス政府が検査と追跡プログラムのために委託した民間企業の Sercoと Capitaの実態調査に大忙し。多くの問題が指摘されているこれらの企業とのアウトソース契約の更新を阻止するために、「もうSercoには1ペニーも払わない」という啓発キャンペーンを展開した。
 先立って政府の検査と追跡プログラムを1億800ポンド(約151億円)で委託されたSercoなどのパフォーマンスが疑問視されていた。Serco とコールセンター会社Sitelは25000人のスタッフをプログラム実施のために新規に雇ったが、大した研修もなくスタッフが待機のまま仕事が来ずにNETFLIXを見ているという告白をBBCが伝えた。インディペンデント紙はアウトソース企業が濃厚接触者の52%しか追跡できていない調査結果を明らかにした。他の独立系の調査ではさらに低く25%とさらに低い。
 最新の統計によると コロナ陽性感染者との接触のために113,925人が追跡されたが、その実は90%がNHSの地元スタッフによって行われた。そして Serco は個人情報を漏洩させるスキャンダルを3回起こしている。国民の疑問や批判が高まり、世論調査によると Serco などとのアウトソース契約の更新に賛成するのはわずか15%。
 そにもかかわらず政府は新たに3億ポンド(約420 億円)の再契約を8月23日にした。We Own Itのメンバーは「アウトソーシングに執着している政府の判断で税金が無駄に使われるだけでなく国民の健康が犠牲になる」と厳しく批判する。 NHSは各地で自前のネットワークを持ち、保健の専門性を持つスタッフが資金難でも必死に追跡作業に当たっている。無駄な二重の仕組みを作るのではなく、この3億ポンドをNHSの予算として直接当てるべきだと彼女たちは主張する。個人情報の上でもデリケートな検査や追跡を専門性の乏しい民間企業に任せる英国。10年がかりの国民から信頼されるデジタル行政サービスを基盤に、国家が統合された公的システムを作ったデンマークとの違いは大きい。


参考 
https://lowdownnhs.info/private-providers/serco-the-company-we-need-for-nhs-test-and-trace/
https://www.bmj.com/content/369/bmj.m2486
https://tribunemag.co.uk/2020/08/britains-privatised-test-and-trace-is-a-tory-mess

 

Profile

著者プロフィール
岸本聡子

1974年生まれ、東京出身。2001年にオランダに移住、2003年よりアムステルダムの政策研究NGO トランスナショナル研究所(TNI)の研究員。現在ベルギー在住。環境と地域と人を守る公共政策のリサーチと社会運動の支援が仕事。長年のテーマは水道、公共サービス、人権、脱民営化。最近のテーマは経済の民主化、ミュニシパリズム、ジャストトランジッションなど。著書に『水道、再び公営化!欧州・水の闘いから日本が学ぶこと』(2020年集英社新書)。趣味はジョギング、料理、空手の稽古(沖縄剛柔流)。

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