中東から贈る千夜一夜物語
帰りたくない女性たち・帰りたい男性たち ― トルコのシリア難民の現状
シリアに歴史的な転換点が訪れています。誰もが予期していなかったアサド政権の崩壊。しかも 12 日という短期間で成し遂げられたこの大変化。50 年以上続いたアサド親子の支配はあっという間に崩れ去りました。
アサド政権下でシリア人がどれほど辛酸をなめたかについては日本のメディアでもときどき報道されていると思いますので、この記事でさらに触れる必要はないかと思います。この記事では、トルコに住むシリア人たちの現状およびトルコ人たちの反応について触れたいと思います。
私はアレッポとの国境にほど近いガジアンテプに 4 年以上住んでいましたので、シリア人と関わる機会が非常に多くありました。そもそも、ガジアンテプに移動した理由がシリア人に関わるボランティア活動のためでした。ガジアンテプにはシリア人支援のための国連関係者や NGO 関係者も多く住んでいました。ガジアンテプのシリア難民の割合はトルコ国内でイスタンブールに次いで多く、その数は 100 万人ほどと言われるほどでした(ガジアンテプ市のみならずガジアンテプ県全体を含む)。
アサド政権の崩壊で、シリア人たちが一斉に国に帰っているかのような報道がなされているかと思いますが、実際に帰っている人たちの数はかなり少ないといえます。アサド政権が崩壊してからシリアに帰ったシリア人の数は 3 万人ほどと報告されています。この数を多いとみるか少ないとみるか...。トルコでは 2024 年の時点で登録されているシリア人の数は320万人ともいわれています。ただし、登録されていないシリア人も非常に多いので、実際の数は 400万 ともいわれています。この数と比較すると、帰ったのはほんの一握りだといえます。
アサド政権崩壊後のシリア人たち
さて、アサド政権が倒れたことに対するシリア人たちの心境とはどういうものなのでしょうか。アサド政権が崩壊したことで、シリアに帰る道が開けるシリア人は多くいます。ですから、故国に帰る可能性が現実的になったことに対する喜びは大きいです。
例えば、政治犯として旧政権下で「wanted (お尋ね者)」になっていた人たちが多くいます。また wanted とまではいかなくても、アサド政権下では国外に脱出した人たちは「裏切者」とみなされる可能性があり、シリアに帰ると即逮捕される恐れもありました。また若い男性たちは有無を言わさず兵役につかされ、5 年とも 10 年とも分からないほぼ無期限の兵役に就いた後、兵役期間中に死ぬか人を殺すかのいずれかの選択肢しかありませんでした。こうした危険性があるアサド政権下では、国に帰りたくても帰れないシリア人たちが多くいました。その政権がもう存在しないのですから、恐れる理由もなくなったわけです。
ただし新政権のポリシーははっきりしませんし、今後シリアがどんな風に変わっていくかは未知数です。ですから高揚感の一方で、多くのシリア人が様子見の段階であるといえます。
帰りたくない女性たち
興味深いことに、非常に多くのシリア女性たちの本音は「帰りたくない」というものです。実際、「帰りたい‼」と諸手を挙げている女性たちや「今すぐ帰るぞ」と息巻いているシリア女性に会ったことが私にはありません。もちろん、祖国に自由に行き来したいという思いや親・親族に会いたいという気持ちは全てのシリア人が共通して持っているものです。ただ、シリアに帰ってそこで生活をしたいかと言われると、二の足を踏む女性たちが圧倒的に多いのです。
主に 2 つの理由があると思います。1 つは、シリア国内のインフラの破壊。電気・水道の供給もおぼつかなく、多くの場所がとことん破壊されたまま。シリアから出ずにそこでずっと過ごしてきたシリア人たちは飢えや寒さに直面しつつも何とかして生き延びるしかありませんが、トルコやその他の国々に逃れたシリア人たちにとっては暮らせるような状況ではありません。子供たちをそのような環境に置くことへのためらいもあります。
2 つ目の理由が、トルコで得た「自由」を失うことへの恐れ。「トルコで "自由" を得た」「トルコで開眼した」と感じているシリア女性が非常に多いです。シリアではごく「普通の自由」が奪われていた女性たちも多く、そのことにすら気づかなかったのです。
さて、この記事では私が日常的に接するシリア女性たちの経験を書きますが、シリア人といってもその生きざまは千差萬別。シリア人はこうだとステレオタイプ化することはできません。宗教によっても、家庭によっても、地域によっても環境が異なります。非常に閉鎖的な環境で育ってきたシリア人もいれば、非常にオープンな環境で育ってきたシリア人もいます。とはいえ、シリア人社会の大部分はスンニ派のイスラム教徒で構成されており、イスラム教徒たちを取り巻く環境はどちらかと言えば閉鎖的です。ただ、「いや、私の知っているシリア人はそうではない」と言われる方もおられることでしょう。実際、私自身その多様な環境に驚かされることもあります。ただ、今回の記事は圧倒的多数のシリア人女性たちが置かれていた環境にフォーカスしています。
多くのシリア人女性たちは、生まれ育った地域で身近な親族と結婚し、家にこもり、家事と子育てに追われて年を重ねていく...世代から世代へとこのサイクルが繰り返されてきました。内戦で難民となり故国を追われることにより、これまで見ることも知ることもなかった外の世界に否が応でも触れることになりました。一人で買い物に出かけること、一人で近場の友達の家を訪ねることなどなど...シリアでは決して許されなかった「自由」を経験した女性たちが多くいます。そこで初めて、シリアでの生活は「抑圧」だった、あるいは「権利が奪われていた」のだと気づきます。
これは政権による抑圧ではなく、宗教的あるいは伝統的に受け継がれてきた慣習による抑圧です。女性の意志などは鼻から重要視されない世界です。こうした女性たちにとっては、シリアに戻ること=以前の抑圧に戻ることで、それを恐れています。
帰りたい男性たち
対してアラブ男性の非常に多くはとにかく帰りたい。男性たちが懐かしむのは「あのシリア」で、女性たちがどう扱われていたかなどに関心を払う男性は少ないでしょう。「そのシリア」では、女性たちが徒歩 10 分の距離の外出でさえも夫または父親の許可を得る必要があり、男性 (父親、夫、成人の兄弟あるいは成人した男の子供) の同伴なしでは家から出ることすらできなかった社会なのです。 男性側としては、女性 (妻) の経験値が増えて意志を持つようになることが脅威です。
ドイツに住んでいた時にアラブ男性が感じる恐怖を身近に観察しました。妻が言うことを聞かなくなるという恐怖です。あるいは男性側の「不適切」な行動で離婚に至るかもしれないという恐怖。シリアでは、いうことを聞かないからという理由で妻を叩いたり、妻は 4 人まで持てるという宗教的信条に便乗してふたこと目には「別の女性と結婚する」と脅したり...など、男性が傍若無人に振舞える環境でした。
ところがドイツでそんなことをしようものなら、妻側から三下り半を突き付けられませんし、家庭内暴力は警察沙汰になりかねません。男性側にとっては何とも窮屈な世界です。トルコはイスラム教国家で、欧米と比べると女性の権利がそれほど守られていないという印象があるかもしれませんが、女性たちはそれなりの発言力を持っています。トルコを建国したアタチュルクは政教分離を推し進め、そのアタチュルクの精神が多くのトルコ人に根付いています。実際、トルコでは法律に守られていると感じているシリア女性たちが圧倒的に多く、反対に言うならアラブ男性側は思うほど好き勝手できないという現実があります。
ただし付け加えて言うなら、こうしたシリア男性が悪い人だという訳ではありません。あくまで彼ら自身が育った環境がそのようなものだったということです。多くのシリア人たちの交流は非常に限定的で、通常は家族・親族だけに限られます。ですから、この環境から出たことがない場合、そして交友関係が極端に限られる場合、その環境が「普通」になります。
帰りたくない女性たちの様々な理由
今後シリアで女性たちの権利を守る法律が整備されていくのかは未知数ですが、多くの女性たちは懐疑的です。というのも、これは法律の問題というより慣習の問題だからです。また、宗教指導者たちの影響力も無視できません。あるシリア人女性は、自分の家庭では父親よりその地域の宗教指導者 (モスクのイマーム) の方が発言力を持っていて、子供に何をさせるべきか何をさせるべきでないかが逐一指示されていた、と語っています。ちょうど日本の田舎・地方・集落でその地域特有のルールがあり、そのルールやしきたりが法律以上の力を持っているのと同じです。
シリア人女性に帰りたくないと思わせる別の複雑な事情もあります。代表的なのは、行きついた先の国で女性が再婚したケース。理由は様々ですが、大抵はシリアの内戦中に夫を亡くしたケースといえます。子供がいた場合、とりわけその子が小さくて男の子である場合、アラブの慣習では亡くなった夫側の親や親族がその子を引き取るのが普通です。男の子は家の宝だからです。
シリアにいる間に子供を取られる女性もいますが、シングルマザーとして何とか子供を連れだしてシリアを出た場合でも、前夫の家族はあきらめていません。再婚した女性たちは再婚したことが前夫の親族にバレないようにしています。バレた場合、夫の親族側は前夫との間にできた男の子をどんな手段を使ってでも取ろうとします。シリアの地を踏んだら最後、手塩をかけて守り抜いてきた子供はいなくなってしまうという訳です。
あるいは、現在の夫に以前自分が結婚していたことを伝えていないケースもあります。とりわけ子供ができる前に夫を亡くしている場合、行きついた先の国で「初婚」として結婚している場合があります。シリアに帰ると、自身のヒストリーを知っている親族たちとの接触は避けられず、今の夫に知られたくない事実が知らされることになるかもしれません。
トルコではなく、ドイツや他のヨーロッパの国々に逃れたシリア人の場合、さらに状況は複雑になることがあります。難民となったシリア人たちは、トルコを経由し、男女入り混じって海を越えていきました。その途上で便宜上、「夫婦」になった人たちもいます。夫婦として申請したほうが受け入れ先の国でのプロセスが早く進む可能性があったからです。このように、シリアを離れ難民として生きてきた期間中に、同胞には大きな声で言えない様々な事情を抱えるようになった人たちも多くいます。
アサド政権崩壊後のトルコ人の反応
さて、ではトルコ人の反応はどうでしょうか。トルコではほぼすべてのトルコ人がアサド政権の崩壊を歓迎しています。トルコではシリア人との間に軋轢が生じており、世論はシリア人排斥に傾いていました。世論の反対にも関わらずシリア人の受け入れ姿勢を変えなかったエルドアン大統領にとっては、大勝利です。一番良い形でトルコ国内のシリア難民問題に決着がつくからです。しかも、「シリア支援」という名目であわよくばトルコの領土をシリア国内に拡大させることができるかもしれない (もちろんこれはセンシティブなトピックなので、トルコ政府は声高には叫んでいません)、あるいは領土拡大とまではいかなくても、肥沃なシリアの土地からトルコ側が利益を得たいという思惑が見え隠れします。
こうした政治的な駆け引きはともかく、多くのトルコ人にとって、トルコにとって重荷となっていたシリア人がゆくゆくはトルコから出ていくという見込みは非常に喜ばしいものです。 ガジアンテプはシリアのアレッポと隣り合わせの位置にあり、内戦前からトルコ人とシリア人の行き来が活発でした。ガジアンテプには、ビジネスでシリアに進出して一儲けしたいともくろんでいるガジアンテプ人が多くいます。もともとトルコ人は商売上手。今回のアサド政権崩壊によりトルコがシリア支援のキープレイヤーとなることは必至で、個人レベルとしてもビジネス拡大のまたとない機会ととらえているトルコ人が多くいるように思われます。
求められるシリア支援
ただしシリア難民がシリアに帰還するには、まずシリアが安定することが必要です。家もない、電気もない、ガスもない、水もない、学校もない...という状況では帰るに帰れません。不安定な状況が長引けば長引くほどテロや犯罪の脅威も増します。ですから今後、トルコによるシリア支援は急ピッチで進んでいくと思われます。支援が進めば進むほど、難民の早期帰還も可能になります。
この 2025 年にトルコとシリアの状況は大きく変わると思われます。トルコ国内では、シリア難民に関係する法律がどんどん改正されていくことでしょう。例えば、難民用に発行されていた「キムリク(身分証明書)」はもはや更新されなくなると思われます。キムリクが更新されないとなると、ツーリスト用のイカメットに切り替える必要がありますが、かなりのお金がかかります。ほとんどのシリア人は大家族で、家族全員がイカメットに切り替えることはまず不可能でしょう。そもそもトルコでは、外国人排斥の動きがここ数年続いており、イカメットを拒否される外国人が後を絶ちません。シリア人ともなれば、さらに拒否される可能性が高いです。
またインフレが深刻なトルコでは、家賃や生活費の高騰に伴い、生活そのものが厳しくなっているシリア人も多いです。こうした人たちは既にシリアに戻り始めていますし、今後もその数は増えていくと思われます。ただし、トルコでトルコ国籍を取得していたり、堅調なビジネス経営をしていたりするシリア人たちも一定数います。特にガジアンテプではこうしたシリア人たちの数が多いです。こうしたシリア人たちは今後もトルコに残ることになるでしょうし、両国の行き来がしやすくなれば、ビジネスの活性化につながります。
思いもかけず、歴史的な転換点に立つことになったシリア。今後どこに進んでいくのか、非常に興味深いです。個人的には、またシリアの大地をツーリストとして気軽に踏めるようになることを期待しつつ...、今後の進展を見守っていきたいと思っています。
著者プロフィール
- 木村菜穂子
中東在住歴17年目のツアーコンサルタント/コーディネーター。ヨルダン・レバノンに7年間、ドイツに1年半、トルコに7年間滞在した後、現在はエジプトに拠点を移して1年目。ヨルダン・レバノンで習得したアラビア語(Levantine Arabic)に加えてエジプト方言の習得に励む日々。そろそろ中東は卒業しなければと友達にからかわれながら、なお中東にどっぷり漬かっている。
公式HP:https://picturesque-jordan.com