中東から贈る千夜一夜物語
ヨルダン観光のすゝめとヨルダンの観光業界をけん引するスゴ腕の女社長
コロナ禍で海外旅行が制限されて 2 年以上...。もうそろそろ自由に海外旅行ができないものかとウズウズしておられる方も多いかもしれません。海外旅行が趣味だった方たちにとってはとても辛い時期だったかと思います。いや、日本ではまだ現在進行中かもしれませんね。
ところで旅先に中東を選ばれる方はどれくらいいらっしゃるのでしょう。旅の上級者には多いかと思いますが、一般的にはまだまだ敷居が高いのが現状かもしれません。実はヨルダンは旅の上級者だけではなく、旅の初心者でも楽しめる国。この記事ではそんなヨルダンという国の魅力をお伝えしたいと思います。
さて、中東と聞くとほとんどの方がマイナスのイメージを持たれるのではないかと思います。紛争、テロ、狂信的な宗教、よく分からないけど危険...というのが一般的なイメージなのではないでしょうか。これは筆者が初めてヨルダンに渡った 15 年前から全く変わっていません。筆者が単独でヨルダンに渡ることを決めた時、この国に関する信頼できる情報はほとんど手に入りませんでした。
アメリカであの衝撃的な 9.11 同時多発テロが起きた後から中東のイメージは下降の一途をたどり、中東に行くなんて無謀な‼ というのが世間一般のイメージとして定着してしまったのではないかと思います。とはいえ、その前から中東はバックパッカーが勇んで制覇したい国で、どちらかといえば「変わり者」が行く地域であったことに変わりはないと思います。
世界遺産のペトラすら知らなかった筆者が単なるインスピレーションで飛び込んだのがヨルダン。2008 年のことです。中東の中では多分アラビア語を学びやすそうな国...というだけの理由でした。予備知識はゼロ。そんなヨルダンで観光の面白さに目覚めました。北海道ほどの大きさの国でありながら、砂漠、死海、山、数々の世界遺産など、ヨルダンには魅力がぎゅっと詰まっています。そんなヨルダンの観光地の魅力についてはこの記事の後半でお伝えするとして、まずヨルダンの観光業界について少し触れたいと思います。
「アラブ世界」の定義:この記事で「アラブ世界」という表現を使う場合は、「アラブだけで成り立つ世界」すなわち中東に存在するアラブで構成された社会のことを指しています。中東の外 (欧米や日本など) で暮らしている個々のアラブについては語っていません。
ヨルダンの観光業界裏話: なぜセクハラ被害が多いのか
中東に関する情報を集めようとすると、セクハラについて言及している人やサイトが多いことに気づかれるかもしれません。中東を旅先に選ぶ人の絶対数が少ないので、長い間ヨルダンといえばガッツのあるバックパッカーたちが修羅場をくぐり抜けながら旅を続けるような行き先でもありました。ただしヨルダンはここ 10 数年でかなりの変化を遂げ、地元のアラブの意識もかなり変わりました。ですから、セクハラの数は以前よりかなり減っていると思います。
それにしても、なぜヨルダンではセクハラが多いのか。もちろんヨルダンだけではなく、その他の中東アラブ諸国も同じです。ただしこの記事ではヨルダンにフォーカスしています。さて、セクハラが起こる理由は色々あるためこの記事ではすべてを取り上げることはしませんが、原因の 1 つにヨルダンの観光業界の体質が挙げられると思います。
私がヨルダンに渡った当時、観光業界はヨルダンでも特に体質が古いコテコテのアラブの世界でした。一般的な現地旅行会社はいわゆる同族会社で、身内で固められた世界。ヨルダンには大小の旅行代理店がひしめいています。当時は観光がブームになりつつある頃で、現地旅行会社の数は 800 とも言われていました (もちろん、今では自然淘汰され数はかなり減っていると思われます)。ヨルダンの国土が北海道と同じくらいの面積であることを考えると、この数はすごい数だと思います。
が、ヨルダンの現地旅行会社は家族経営がほとんど。父親が社長で、専務は長男、ドライバーは父親の弟...などファミリービジネスの典型。とにかく大家族のアラブ。ですから家族・親族総動員で会社を動かします。そしてもちろん男性優位! ですから体質が非常に古い。こうした環境では、どうしても「なーなーの仲」になってしまい、お客様からのクレームに対処するより身内を守る体制に入ってしまう。
例えばドライバーがセクハラしたというクレームが来ても、身内の解雇はあり得ません。解雇されないことが分かっているので、セクハラの傾向がある者は調子に乗って同じことを繰り返す。これでは質の良いビジネスを提供できません。これがヨルダンの現地旅行会社の現実でした。とはいえ、何度も言いますが現在ではかなりの程度改善されています。
ヨルダンでツアーコンサルタント/コーディネータとして働き始めた私の前に立ちはだかった難題は、信頼できる質の良い提携先 (現地旅行会社) を見つけること。とっかえひっかえ色々な現地旅行会社を試しては、ここもダメ、あそこもダメ...を繰り返す日々でした。もともと自信満々なのがアラブ。不敵な笑みを浮かべて「絶対に満足させますよ」「うちのサービスは最高だからね」などと口だけは本当に立つんです。でも実際に仕事をしてみると、もう失敗だらけ。フォローのしようがなく、がっかりすることのほうが多い。またか! やっぱりな! この口先男め! と、何度も手を切りました。
そして行き着いた結論が、家族経営の現地旅行会社に将来性はない。それからは、コンタクトを取る前にまず確認したのが家族経営かどうかという点です。家族経営であった時点で、もう取引の対象とはなりません。ですが、家族・親族という枠に縛られていない旅行会社を探すのは至難の業でした。
偶然の出会いが長い付き合いへと
そんなときに偶然巡り合ったのが、同族会社ではなくインターナショナルな会社で、さらに社長が女性という稀有なエージェント。ダメもとで門をたたいたのは 2013 年のことです。全く期待していませんでしたが、この旅行会社こそが理想通り、いえ理想以上の旅行会社だったのです。
まず驚いたのが、こんなインデペンデントな女性がアラブ世界にもいるのか...という点。今年 50 歳になる彼女は独身。アラブ女性がアラブ社会で男性の力を借りずに、自分らしく本領を発揮して自由に生きるのは至難の業です。
この旅行会社はエルサレムに本社があり、トルコやイタリアなどにも支店を展開しているインターナショナルな会社。支社とはいえ、ヨルダンに関しては一切の権限を任されているのがこの女性社長。コロナ前、この会社はヨルダンで 3 番目に集客率が高く、ぺトラへのツーリストの集客率が最も高い会社の一つに選ばれて、賞を獲得したこともあります。
アラブ世界のお手本のような女性マネージャ
私が彼女から特に感銘を受けたのは、ミスや手落ちがあれば言い訳を一切せずに潔くすぐに謝罪できる強さです。アラブ世界では謝罪はほとんどなされません。まず長々とした言い訳から始まり、自己弁護の末に逆ギレ...というパターンが非常に多い。男性も女性もほぼ同じです。そして大人であれ子供であれほぼ同じ反応です。こうした対応に辟易していた私にとって、潔く謝罪ができる彼女の姿はヒーローのように輝いて見えました。
彼女との出会いで、私の仕事もグッとしやすくなり、ストレスが激減したことは言うまでもありません。ビジネス提携を始めて10年近くになりますが、彼女への尊敬の気持ちは今でも全く変わりません。いつも冷静で公正で真に賢い女性。こんな逸材はまさにアラブ世界の宝石のような存在です。
あっぱれの女性社長へのインタビュー
そんな彼女を作り上げたのは何だったのか...。私と彼女との付き合いは長いのですが、今回改めてインタビューをしてみました。皆さまにもこの「すご腕ヨルダン女性」の魅力が伝わればと思っています。
‐ まず自己紹介をしてください。
Raja です。ヨルダン生まれヨルダン育ちです。ツアー業界では 29 年間働いています。実は年寄りなんです(笑)。ツアー業界ではまずガイドとして働きました。現在は Near East Tourist Agency のヨルダン支部の社長として働いています。
‐ なぜガイドになろうと思ったのですか? というのも、男性優位なヨルダンの観光業界では女性はほとんど表舞台に出てませんでしたよね?
その通り。私はヨルダンでは初めての女性ガイドの 1 人でした。ヨルダン男性にとって、女性が遺跡内でツーリストに説明をする姿は非常に奇妙に映りました。でも私は遺跡や古跡や歴史的遺産や文化が好きです。そして私はヨルダンにある歴史的資産のゆえにこの国を非常に誇りに思っています。私はヨルダン北部のジェラシュで育ち、17 歳までそこで過ごしました。ジェラシュはローマ時代のデカポリスの 1 つで「1000 本の円柱の街」としても知られています。私は幼少期をこうした円柱に囲まれて過ごしました。
‐ そうだったんですね。幼い頃、ジェラシュはどんな存在でしたか?
ジェラシュは私の遊び場でした。そしてそれが私を遺跡好きにさせました。私は円柱や古代の集落の跡地をいつも眺めていました。そして遺跡の発掘作業をしている外国人によく話しかけていました。こうした外国人の考古学者たちは私の家の前に住んでいました。バケツには発掘物がたくさん入っていて、私はよく「これで何をするの?」と尋ねたものです。ですから、私の遺跡への関心は、幼少期の遊び場だったジェラシュで育まれたのです。
Raja さん提供
‐ 英語はどうやって習得しましたか?
ヨルダンでは当時、英語は小学校の 5 年生から教えられていました。現在では 1 年生から英語の授業があります。私はとにかく語学が好きでした。大学では英文学を専攻しました。その後ヨルダン観光局によるガイドの養成コースに通い、ガイドの資格を取得しました。それから同じ大学に戻り、修士課程で言語聴覚療法の分野を研究しました。
‐ ヨルダンでは初めての女性ガイドの1人だったということですが、なぜガイドの仕事を辞めましたか?
10 年間ガイドとして働いた後にアメリカで 1 年半就職しました。ヨルダンに帰った後はガイドとしてもう働きたくないと思いました。現場を動かすマネジメントの仕事がしたいと思ったんです。面接を受けて、2003 年に現在働いている会社の権限を委任され、社長になりました。ここで 19 年間働いています。ヨルダンでは、自分名義ではない会社で、しかも女性の社長として働いているのは現在でも私だけです。ヨルダンでは自分の会社を持つことは簡単です。誰でも自分の会社を持てますが、経営者としてではなく管理運営者として女性が別の会社の権限を委任されるというケースはほとんどありません。
‐ 旅の行き先としてのヨルダンを表現してください。
ヨルダンはその価値を認識できる人にとって宝石のような存在です。ヨルダンには「本物」が多くあります。世界で一番古いダムといわれるジャーワ、漆喰と葦で作られたアインガザル像、ペトラ、イエス・キリストがバプテスマを受けたといわれるベサニー、預言者モーセが登って亡くなったネボ山など、オリジナルでオーセンティックなもの (本物) がたくさんあります。他では真似できないものばかりです。
ヨルダンの自然も稀有なものです。海面下にある保護区が 2 つあるのもヨルダンだけです。世界で一番低い場所 (海面下約 400 メートル) にあるムジブ保護区およびフェイナン保護区です。こんな小さな面積の国土に、こうしたものすべてが詰まっているんです。
ヨルダンの南東部にある砂漠でも発掘が進んでいます。発掘するたびに新しい発見がなされます。Authentic Jordan (オーセンティックなヨルダン) と名付けるのにふさわしい国です。人類史はこのエリアから始まりました。例えばエジプト文明は、確かに壮大でした。でもヨルダンにあるものはもっと古いんです。例えばアインガザル像はエジプト文明よりはるかに昔のものです。
‐ ヨルダンで絶対に見るべき観光地はありますか?
ペトラ、ワディラム、ベサニー(宗教に関心がある方)、ジェラシュ、ウンムカイス、アムラ城 (ユネスコ遺産に指定されている) などです。
‐ ヨルダンの観光業界が抱える問題とは何ですか?
私はヨルダンを愛しているからこそ、時々批判もします。欠けている点に目を向けるのは大切だと思います。例えば道路標識です。標識は一貫しているべきです。またウェブ上にアップされている情報です。真正性が証明された情報だけがアップされるべきです。信頼できる情報を取りまとめる機関が必要です。ヨルダン国内のごみの問題もあります。私は誰か特定の人を批判しているわけではありません。ただし政府は耳を傾けるべきです。
もちろんヨルダンには失業の問題を含めた数々の問題が山積しています。ただし私のプロフェッションは観光です。ですから私は自分のプロフェッションの範囲内で声をあげています。変革にはスピードが必要です。ヨルダンはユートピア (理想郷) ではありません。ですから批判に耳を傾けるべきです。
‐ コロナで観光業界は影響を受けましたが、ヨルダンの観光セクターは回復傾向にありますか?
2022年3月以降、ワクチン接種・未接種に関わらずヨルダンへの入国が可能になりました。また到着時のPCR検査も必要ではありません。コロナ前のようではもちろんありませんが、それでも回復の兆しが見えます。
‐ アラブ世界でビジネスウーマンとして生きることをどう感じていますか?
粘り強く、打たれ強くあるべきです。29 年間のキャリアを積み重ねた今も私の能力を疑う人がいます。女性は、料理の方法・メイクの方法は知っていて当然だけど、観光に関わる情報 (どのルートでトレッキングをするか、遺跡のどこに着眼するかなど) を知る必要はないというステレオタイプは今でも存在します。
ヨルダンの観光業界で女性が活躍することはまだ一般的ではありません。女性の数はまだ限られています。私はまだヨルダンで非常にまれな存在です。もちろんヨルダンでは女性ガイドの数も増えていますし、女性の部門マネージャなども増えています。でも管理職クラスで活躍する女性は限られています。
‐ アラブ世界では結婚して家庭を持ち子供を持つことが普通とみなされていますね。
それでもいいと思います。もしそれがその人のしたいことなら。でも私は自分がしたくないことはしたくありません。
‐ なにが現在の Raja を作り上げましたか?
父方の祖母がすごく強い女性でした。彼女は夫を亡くしましたが、父親のビジネスを管理し、4 人の子供を育て上げました。それから私の母親は孤児でした。母は自分でしっかり考えるように私たちを育てました。女だからこうしなさいと言われたことはありません。ガイドになることにもアメリカで就職することにも母は反対しませんでした。むしろサポートしてくれました。
私の一番上の姉は 1989 年にヨルダンの航空会社に就職しフライトアテンダントになりました。当時のヨルダンでは、ヨルダン人女性がフライトアテンダントになるというのは、女性がガイドになるということより奇異なことでした。でも姉は気にしませんでした。私が育ったのはそんな環境です。いずれにしても、私はいつも闘ってきました。欲しいと思うものがあればそれを得るために努力してきました。性別ゆえに、つまり女性だからできないというのは私には受け入れられません。
‐ とはいえ、アラブ世界では社会からのプレッシャーが自分の意志より強いですよね。
でもやはり選択の問題です。自分が信じることのために強くあることが必要です。私は自分がこれだと信じる生き方をしたい。他の人に強制される生き方はしたくありません。母親になりたい、あるいはなりたくないというのは私の個人的な選択です。他の人は干渉すべきではありません。
‐ それはセオリー (ここでは理想論という意味) ですが、実行に移すのは難しいですね。
私たちには考える力 (脳) があります。それを使わないとだめですね。
‐ あなたの一番の理解者は誰ですか?
母親、私の兄弟たち、父親...みんな私の理解者です。私の家族はみなそれぞれ自分らしく生きています。キャリアを持つことは私の家族の中では特別のことではありません。私の家族にとっては、自分らしく生きること・社会のプレッシャーの犠牲者にならないことは、セオリーではなく現実のことです。
確かにこの社会では結婚をしない女性は女性として何か欠落していると考えられています。でも結婚して子供ができない場合も問題があるとみなされます。離婚するのも問題ですし、やもめになるのも問題です。つまり何でもかんでも問題なんです。だったら選択しないと。自分が幸せになる道を選ぶんです。なぜなら、何をしても結局何か言われるんですから。ですから私は自分が信じる道を行くだけです。
‐ そのためには自分をよく知ることが必要ですよね。
その通りです。自分の欠点を知る必要があります。欠点が分かれば改善できます。もちろん外見や背の高さなど修正できないものもあります。見た目が重視される職業につかなくて良かったです(笑)。自分を知り、改善できる点は改善すること、自分のベストを尽くすこと。誰かを真似する必要はありません。
今の時代、みんな同じ髪型をし、同じ美容整形をし、同じスタイルの服を着たがります。それではいけません。自分らしく、1 つしかない「本物」になることが必要です。闘う気力は必要ですね。
‐ ありがとうございました。
どうでしょう、まさに宝石のような女性だと思われませんか?
アラブ世界には、アラブなりの「恥 (アイーブ)」と呼ばれる数々の「掟(おきて)」が存在しています。外国人やアラブ男性には適用されませんが、アラブ女性にはこの「掟」に従うことが暗黙のうちに要求されます。言葉にはできない色々な葛藤があるとはいえ、自分らしさ、世界にたった1つしかない自分という「本物」を貫こうとするこの姿勢。「本物」がたくさんあるヨルダンという国にふさわしい女性といえます。男性優位なアラブ世界で結果を出すことで、最終的にはアラブ男性からも信頼と敬意を勝ち得、誰にも文句を言わせない。あっぱれの女性社長です。
さて、ここでヨルダンという国の魅力をさらに知っていただくために、女性社長 Raja さんが触れた観光地をご紹介したいと思います (ただし、世界で一番古いダムといわれるジャーワはまだ観光地化されていません)。また、私が個人的に勧めたい観光地についても記事の最後で触れさせていただきます。ご関心のある方は、引き続きお読みください。
著者プロフィール
- 木村菜穂子
中東在住歴17年目のツアーコンサルタント/コーディネーター。ヨルダン・レバノンに7年間、ドイツに1年半、トルコに7年間滞在した後、現在はエジプトに拠点を移して1年目。ヨルダン・レバノンで習得したアラビア語(Levantine Arabic)に加えてエジプト方言の習得に励む日々。そろそろ中東は卒業しなければと友達にからかわれながら、なお中東にどっぷり漬かっている。
公式HP:https://picturesque-jordan.com