Fair Dinkum フェアディンカム・オーストラリア
秋色に染まるオーストラリア最古のドイツ村 ハーンドルフ
1830年代、南オーストラリア州の州都アデレード郊外の丘陵地帯に造られた小さな村は、ドイツ語で「ハーンの村」を意味する「ハーンドルフ」と名付けられた。
メイン通りには、ヨーロッパの並木道を思わせる木々が立ち並び、柱と梁で骨格を作ったドイツの伝統的な木組み建築「ファッハヴェルクハウス Fachwerkhaus」の建物が今も残る。
ハト時計が時を告げるリズミカルな音が聞こえる店からは、ドイツの民族衣装を身にまとった店員が顔をのぞかせ、パブのアウトドア席は、大きなビア・ジョッキで豪快にビールを飲む人々でにぎわう。
街角にたたずむと、ドイツの片田舎の小さな村へ迷い込んだかのような錯覚に陥るほどだ。
そこがオーストラリアであることを忘れてしまうハーンドルフの町に、静かに秋が訪れていた。
州の歴史遺産に指定されたハーンドルフ
ハーンドルフの歴史は、1838年にさかのぼる。
この年の12月28日、ドイツから187人のルーテル派(ルター派)移民=38家族を乗せた344トンの移民船「ゼブラ号」が南オーストラリア州ポート・アデレードに到着した。しかし、乗船客は干潮のため、翌年1月2日まで下船できなかったという。
この間、船長であるダーク・ハーンは、移民の尊重と皆が一緒に定住して農業をする目標を達成するための土地を与えてくれるよう、政府と交渉。アデレード・ヒルズの100エーカーの土地を無料で1年間貸与してもらう約束を取り付けた。
下船後、この時到着した38家族に、彼らより先にアデレード郊外のクレムジグに移住していた14家族が加わって、この土地の開拓を行い、栗やニレ、プラタナスなど、母国によくある樹木300本を植え、ルーテル教会を中心に町を形成していった。
そして、交渉役を務め、移住の礎を築いてくれたダーク・ハーン船長の名を取り、「ハーンドルフ(ハーンの村という意味)」と名付けた。
ハーンドルフは、オーストラリアに現存する最古のドイツ人開拓村として、1988年、南オーストラリア州政府によって州の遺産地域に登録され、今では、異国のようなかわいらしい雰囲気が魅力の州内有数の観光地のひとつとなっている。
アデレードからわずか1時間足らずと近いこともあり、周辺のワイン産地と組み合わせた日帰り旅行先として、国内外の観光客に人気だ。
アデレードから最も近いワイン産地 アデレード・ヒルズ
なだらかな丘陵地帯にワイン畑が広がるアデレード・ヒルズ。(2021年3月 筆者撮影)
アデレードから約28 kmに位置するハーンドルフは、マウント・ロフティの麓に広がる丘陵地帯「アデレード・ヒルズ」にある。
アデレード・ヒルズは、1840年代からブドウ栽培が試みられてきた歴史があり、アデレードから最も近いワイン産地としても知られている。
オーストラリアでは標高の高いワイン産地であり、冷涼な気候を生かして造られるソーヴィニョン・ブランやピノ・ノワールなど、世界的にも評価の高いワインを生産していることでも有名だ。
しかし、同地域は2019-2020年の大規模森林火災で、広大なエリアが焼失し、多くブドウ畑が被災。ハーンドルフは被災を免れたが、多くのワイナリーが壊滅的なダメージを受け、オーストラリアのワイン業界は大きなショックを受けた...(参照)
あれから1年が経ち、被災したワイナリーはどうしているのだろうか?
悪夢のような森林火災が襲ったアデレード・ヒルズのワイナリーを訪ねてみることにした。
※次回は、森林火災から復興の道を歩む、ワイン産地「アデレード・ヒルズ」を訪ねます。>>公開しました!
【関連リンク】
▼ハーンドルフ観光案内所(英語)
Special thanks to:Tourism Australia, South Australian Tourism Commission, Door To Door Chauffeurs
著者プロフィール
- 平野美紀
6年半暮らしたロンドンからシドニーへ移住。在英時代より雑誌への執筆を開始し、渡豪後は旅行を中心にジャーナリスト/ライターとして各種メディアへの執筆及びラジオやテレビへレポート出演する傍ら、情報サイト「オーストラリア NOW!」 の運営や取材撮影メディアコーディネーターもこなす。豪野生動物関連資格保有。在豪23年目。
Twitter:@mikihirano
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