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タックス・法律の視点から見る今のアメリカ

秦 正彦(Max Hata)|アメリカ

アメリカ民主主義と最高裁

アメリカ民主主義や個人の自由を守るキーは憲法に規定される三権分立の実効性。立派な憲法があってもこの三権分立が実質的に機能していないと意味がない。独裁政権の国にも人権を守るとか立派な憲法があることが多い。三権分立ストラクチャーにおける最高裁は、ポリシーメーカーの立法府(議会)と異なる。最高裁はポリシーの内容そのものが賢いかどうかの審判を行う場所ではなく、議会や州政府が制定するポリシーが憲法に準じているものかどうかをチェックする最後の砦。

アメリカの民主主義と国の統治システム

チョッと固い話しだけど、この前からアメリカの最高裁判事の話しに触れ始めた。Tax Lawyerの僕がなんで憲法がらみの話しをしてるかっていうと、自分のタックス・ブログにはオタクなクロスボーダー課税の話しを書くんで、ここでは違った切り口でアメリカを見たり書いたりしてみたい、っていう勝手な希望っていうのと、アメリカの歴史を通じて起こる数々の社会問題およびその解決は、アメリカの憲法とそれに基づく統治システムの基本を無視しては語れないから。今のアメリカでもいろんな社会問題が存在するけど、その解決は法治国家である以上、憲法で規定される民主主義にのっとってアプローチする必要がある。

アメリカの民主主義って機能してる?

グッドニュースとしてはアメリカの憲法は、人類の歴史から分かる通り、悲劇な結果となることが多い人間のサガを克服するため、権力が集中したり、いろいろな出来事にヒステリックに反応することがある国民感情に基づくポリティシャンによる浅慮なポリシー策定のリスクに対して最大限のセーフガードが規定されているよくできた統治システムっていう点。そのキーは、立法府(議会)、行政府(大統領府を含む)、最高裁を含む司法府、の三権分立が形だけじゃなくて比較的、実効性のあるものに仕上がってる点。立派な憲法があってもこの三権分立が実質的に機能していないと意味がない。独裁政権の国にも人権を守ります、とか立派な憲法があることが多い。問題はそれを実践しているかどうかの有効なチェックなかったり、実践しない場合のConsequenceがない場合。

国のポリシーって誰が決めるの?

この前も書いたけど、民主主義に基づき、市民生活に影響を与えるポリシーは、選挙で選ばれた議員が議会を通じて策定する。選挙を通じて間接的に市民が策定することになる。アメリカの「連邦システム(Federalism)」っていうのは、州が主権国家同様にデフォルト的に全ての法策定権を持ってて、DCの連邦政府は憲法で規定され、国全体で管理せざるを得ない「特定」マターにしか関与できない。例えば国防、移民、造幣とかは分かり易い連邦マターだ。州が勝手に貨幣とか作れないし、国防もできないしね。一方で州間の通商を規定するCommerce Clauseは連邦マターだけど、その範囲の特定が難しく、連邦政府を大きくしようと思えば、多くのことをCommerce Clauseがカバーする事案として連邦が過度に州管轄に食い込むことがある。例えば銃規制とか。このボーダーラインを巡る訴訟も多く、最終的に憲法解釈マターなので、メジャーなケースになると最高裁に判断を仰ぐことになる。

憲法で保障されている国民の生命、自由、財産はいくら議会でも、法の定める適正な手続き(Due Process)によらなければ奪うことはできない。ただ、憲法に抵触しない限り、市民が選挙を通じて各州のポリシーを決めればいい。民主主義だから、連邦法にしても州法にしても議会が策定するポリシーは全市民が100%支持するものではない。ケースバイケースだけど、ホットなポリシーは半数弱の市民は州のポリシーに賛成できない、っていうケースが多いだろう。だからって、力でこれを転覆することはできない。既存のポリシーに賛成できない市民は、自分の思想に近い議員を選出して、法律やポリシーを変えていくしかない。

ACBのConfirmationヒアリング今週から開始 - どんな判事が国にとってベストか

この立法プロセスを通じて州のポリシーを変えるのは時間が掛かるし、他の市民の大多数が同調しなければ変わらない。立法プロセスで変えることができないポリシーを最高裁に持ち込んで変えてしまおうとする司法府の使用法があり、ここが最高裁判事の憲法解釈に関する意見が大きく分かれるところ。この点は次回のポスティングで触れたい。どんな最高裁判事が憲法上、いい判事と言えるのか。ACBのConfirmationヒアリングが明日から上院司法委員会で始まるんでタイムリーなトピック。

でも司法のチェックが機能しないことも

ポリティシャンは国民感情に敏感というか機敏に反応するんで、戦争とかテロとか大きな事件が起こり、世論が一気に傾くと次の選挙もあるし、結構きわどい法律や大統領令が制定することがある。そんなときこそ、司法が落ち着いて憲法上の判断をしてダメなものはダメと言うのが三権分立。

しつこいけど、司法府はポリシーの内容が賢いかどうかの審判ではない。立法府や行政府が憲法で与えられた範囲の権限内で、かつ憲法を順守したポリシーを策定しているかどうかをチェックするところだ。そんな重要な最後の砦なんだけど、明らかに機能しなかったことがある。日本人の権利があからさまに無視され、法の支配が原則の米国における汚点と言っても過言ではない日系アメリカ人の強制収容のケース。アメリカで生活してる日本人としては必ず知っておきたい最高裁判決「Korematsu v. United States, 323 U.S. 214 (1944)」だ。米国のLaw Schoolで全員が必ず習い、教室で喧々囂々の議論となるケースで、原告はカリフォルニア州市民だったFred Korematsu、是松豊三郎氏。もちろん米国市民だ。

Korematsu v. United States, 323 U.S. 214 (1944)

是松さんのケース。今日でも考えさせられることが多いアメリカの歴史に残る最高裁判断。長くなってきたんでここからは次回。

 

Profile

著者プロフィール
秦 正彦(Max Hata)

東京都出身・米国(New York City・Marina del Rey)在住。プライベートセクター勤務の後、英国、香港、米国にて公認会計士、米国ではさらに弁護士の資格を取り、30年以上に亘り国際税務コンサルティングに従事。Deloitte LLPパートナーを経て2008年9月よりErnst & Young LLP日本企業部税務サービスグローバル・米州リーダー。セミナー、記事投稿多数。10年以上に亘りブログで米国税法をDeepかつオタクに解説。リンクは「https://ustax-by-max.blogspot.com/2020/08/1.html

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