コラム

トランプ政権下でベストセラーになるディストピア小説

2017年02月28日(火)20時00分

トランプ政権下でベストセラーになっているのは Mario Anzuoni-REUTERS

<トランプ政権の独裁的な政治手法が目立つなかで、アメリカの社会不安を反映するかのようにディストピア小説がベストセラーとなっている>

新しい大統領が誕生すると、その時代を反映したベストセラーが生まれる。

バラク・オバマが黒人として初めて大統領になったときには、彼の著作『Dreams of My Father(マイ・ドリーム)』と『The Audacity of Hope(合衆国再生 - 大いなる希望を抱いて)』、彼が参考にしたと言われるリンカーン大統領の伝記『Team of Rivals(リンカーン)』(ドリス・カーンズ グッドウィン著)がベストセラーになった。

オバマ大統領のみならず歴代の大統領は読書家として知られており、国民のお手本である大統領が読む本は必ずと言って良い程ベストセラーになる。そこで、出版社や書店は大統領の愛読書を常に注目しているのだが、トランプは本に関しても型破りの大統領だ。

トランプ大統領は、読書をしないらしい。フォーチューン誌ワシントン・ポスト紙ニュー・リパブリック誌など多くのメディアが書いているが、トランプ大統領は、テレビはよく観るが本は読まない主義のようだ。

大統領の愛読書のかわりに全米でベストセラーになったのが、ジョージ・オーウェルの『1984 (Nineteen Eighty-Four)(1984年)』と、マーガレット・アトウッドの『The Handmaid's Tale(侍女の物語)』である。前者は1949年、後者は1985年に刊行された小説だ。これらの古い作品が、なぜ今頃になって再び売れはじめたのか?

ディストピア小説が話題に

一つのきっかけは、ショーン・スパイサー大統領報道官が、トランプ大統領の就任式に集まった人数を「史上最大だった」と発表したことだった。写真などの多くの客観的情報からは、明らかに事実と異なる。ところが、メディアの批判に対して、ケリーアン・コンウェイ大統領顧問がNBCの政治番組「ミート・ザ・プレス」で「Alternative facts(代替的な事実)」と反論したのだ。ソーシャルメディアやメディアは「事実にオルタナティブ(代替)なんてあるのか?」と騒然とした。

【参考記事】ウソを恥じないトランプ政権に、日本はどう対応するべきか

この騒動の後、アマゾンで『1984』がベストセラーのトップに躍り出た。説明の必要もないほど有名だが、全体主義国家の恐怖を描く、近未来ディストピア小説だ。この小説には、国家のイデオロギーに反する古い邪悪な思想、つまり客観性や合理主義などを否定し、政治的なプロパガンダに使われる言語の「Newspeak(ニュースピーク)」という造語が出てくる。

コンウェイの「オルタナティブ・ファクト」という表現を耳にして、ニュースピークを連想した読書家は少なくなかった。それがあちこちで話題になり、これまで読んだことのない人が手に取るようになった。その動きを敏感に察した書店が目立つ場所に置くようになり、読者層は今も広がっているようだ。

書店で『1984』の近くに平積みされるようになった『The Handmaid's Tale』もまた、独裁政権や全体主義の恐怖を描いたディストピア小説だ。この世界では、妊娠可能な女性は「Handmaid(侍女)」として子どもを産む道具として扱われ、固有の名前もなければ自由もない。人工妊娠中絶を憲法により保障された権利として、中絶禁止を違憲とした1973年の連邦最高裁の「ロー判決(ロー対ウエイド事件)」を知らないアメリカの若者にとって「あり得ない架空の世界」だ。

しかし、トランプ大統領は就任後すぐに海外で人工妊娠中絶を支援する非政府組織(NGO)に対する連邦政府の資金援助を禁止する大統領令に署名した。大統領と議会の上下両院を共和党が支配した現在、最高裁判所が5対4で保守に傾くことは不可避であり、ロー判決が覆される可能が生まれている。生殖に関する女性の選ぶ権利が実際に脅かされるようになり、この本が啓蒙書として注目されるようになったのだ。

プロフィール

渡辺由佳里

Yukari Watanabe <Twitter Address https://twitter.com/YukariWatanabe
アメリカ・ボストン在住のエッセイスト、翻訳家。兵庫県生まれ。外資系企業勤務などを経て95年にアメリカに移住。2001年に小説『ノーティアーズ』(新潮社)で小説新潮長篇新人賞受賞。近著に『ベストセラーで読み解く現代アメリカ』(亜紀書房)、『トランプがはじめた21世紀の南北戦争』(晶文社)などがある。翻訳には、レベッカ・ソルニット『それを、真の名で呼ぶならば』(岩波書店)、『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』(日経BP社、日経ビジネス人文庫)、マリア・V スナイダー『毒見師イレーナ』(ハーパーコリンズ)がある。

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

アメリカン航空、今年の業績見通しを撤回 関税などで

ビジネス

日産の前期、最大の最終赤字7500億円で無配転落 

ビジネス

FRBの独立性強化に期待=共和党の下院作業部会トッ

ビジネス

現代自、関税対策チーム設置 メキシコ生産の一部を米
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:独占取材 カンボジア国際詐欺
特集:独占取材 カンボジア国際詐欺
2025年4月29日号(4/22発売)

タイ・ミャンマーでの大摘発を経て焦点はカンボジアへ。政府と癒着した犯罪の巣窟に日本人の影

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    教皇死去を喜ぶトランプ派議員「神の手が悪を打ち負かした」の真意
  • 2
    トランプ政権はナチスと類似?――「独裁者はまず大学を攻撃する」エール大の著名教授が国外脱出を決めた理由
  • 3
    【クイズ】「地球の肺」と呼ばれる場所はどこ?
  • 4
    日本の10代女子の多くが「子どもは欲しくない」と考…
  • 5
    「スケールが違う」天の川にそっくりな銀河、宇宙初…
  • 6
    【クイズ】世界で最もヒットした「日本のアニメ映画…
  • 7
    アメリカは「極悪非道の泥棒国家」と大炎上...トラン…
  • 8
    「生はちみつ」と「純粋はちみつ」は何が違うのか?.…
  • 9
    【クイズ】世界で1番「iPhone利用者」の割合が高い国…
  • 10
    健康寿命は延ばせる...認知症「14のリスク要因」とは…
  • 1
    「生はちみつ」と「純粋はちみつ」は何が違うのか?...「偽スーパーフード」に専門家が警鐘
  • 2
    【クイズ】世界で最も「半導体の工場」が多い国どこ? 1位は意外にも...!?
  • 3
    しゃがんだ瞬間...「えっ全部見えてる?」ジムで遭遇した「透けレギンス」投稿にネット騒然
  • 4
    「スケールが違う」天の川にそっくりな銀河、宇宙初…
  • 5
    【クイズ】「地球の肺」と呼ばれる場所はどこ?
  • 6
    【渡航注意】今のアメリカでうっかり捕まれば、裁判…
  • 7
    女性職員を毎日「ランチに誘う」...90歳の男性ボラン…
  • 8
    【クイズ】売上高が世界1位の「半導体ベンダー」はど…
  • 9
    教皇死去を喜ぶトランプ派議員「神の手が悪を打ち負…
  • 10
    『職場の「困った人」をうまく動かす心理術』は必ず…
  • 1
    【話題の写真】高速列車で前席のカップルが「最悪の行為」に及ぶ...インド人男性の撮影した「衝撃写真」にネット震撼【画像】
  • 2
    健康寿命を伸ばすカギは「人体最大の器官」にあった...糖尿病を予防し、がんと闘う効果にも期待が
  • 3
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?
  • 4
    【心が疲れたとき】メンタルが一瞬で “最…
  • 5
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
  • 6
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
  • 7
    間食はなぜ「ナッツ一択」なのか?...がん・心疾患・抜…
  • 8
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大…
  • 9
    北朝鮮兵の親たち、息子の「ロシア送り」を阻止する…
  • 10
    【クイズ】世界で最も「半導体の工場」が多い国どこ…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story