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カトリック教会をよみがえらせた法王フランシスコの慈悲
例えば、『ヨハネによる福音書』には、姦通の罪をおかした女性が登場する。モーゼの戒律では、石打ち刑で処刑される重罪だ。キリストは、女性をまさに石打ちにしようとする律法学者やファリサイ派に対して、「あなたたちのなかで、罪を犯したことのない者が、最初に石を投げなさい」と言った。全員がそこを 去り、キリストは「私もあなたをとがめない。立ち去りなさい。そして、二度と罪をおかさないように」と女に伝えた。キリストの慈悲を示す有名な逸話だ。
フランシスコは、律法学者やファリサイ派が女を連れてきたのは、キリストへの「テストであり、罠」だったと説明する。「キリストが法にしたがって『石を投げなさい』と言えば、(キリストの信奉者たちに)『お前たちの主は良心的だというが、この気の毒な女に対する仕打ちを見てみろ』と言えるし、『女を許しなさい』と言えば、『法に従わない』と責めることができる。彼ら(律法学者やファリサイ派)は、この女性のことなどは気にもしていなかったし、姦淫の罪すら気にはしていなかった。たぶん、彼らのなかには自分自身が姦淫をおかした者がいただろう」と。一人きりでこの女の心に語りかけたいと考えたキリストは、「あなたたちのなかで、罪を犯したことのない者が、最初に石を投げなさい」と言ったのだ。
最近、日本で話題になっている不倫や経歴詐称のニュースとそれに対する人々のコメントを目にするたび、モヤモヤした気分になっていたのだが、この本を読んでいる最中に「ああ、私が感じていたのはこれだった」と、霧が晴れたような気分になった。
フランシスコを取材した作者が書いているように、現在私たちが住んでいる社会には、「間違いをおかすのはいつも他人」で「不道徳なのもいつも他人」、「常に他人のせいであり、自分には責任がない」という態度が蔓延している。「(なにかあれば)すぐに他人の落ち度をとがめ、人を許容したくない態度。人を簡単に糾弾するのに、人の苦悩に対しては深い同情で頭を垂れることがない」という雰囲気には、誰しも心当たりがあるだろう。
不倫や経歴詐称のスキャンダルを起こした有名人を公の場で叩いている人は、『ヨハネによる福音書』で姦淫をおかした女性に石を投げようとしている人たちと同じだと思う。「罪をおかしたことがない者だけが石を投げなさい」と言われたら、誰も投げられはしないはずだ。「私は不倫なんかしていない」とか「経歴詐称なんかしたことはない」と反論する人がいるかもしれないが、「罪」とはそういうことに限らない。見栄を張ったり、失敗をごまかしたり、他人の悪口を言ったり、ちょっとした嘘をついたりしたことは、誰にだってあるはずだ。
【参考記事】ローマ法王もたじろぐ「反キリスト」中国の教会弾圧
フランシスコは、「Mercy[慈悲]」の解釈だけでなく、「Confession[告解、ゆるしの秘跡(ひせき)]」の意味と意義についても語る。カトリックにおけるConfessio(ラテン語)は、洗礼を受けた信者が、聖職者に罪を告白することで、神からのゆるしと和解を得る信仰儀礼である。なぜそれが重要かというと、「われわれは社会的な存在であり、ゆるしには社会的な意味がある。私のおかした罪は、人類そのもの、兄弟姉妹、社会全体を傷つける。聖職者への告解は、自分の人生を他人の心と手にゆだねること」だからなのだ。
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