「まだやってるの?」...問題は「ミス日本」が誰かではなく、時代錯誤なこと
椎野さん(中央)と今年のミス日本の受賞者たち MISS JAPAN ASSOCIATIONーHANDOUTーREUTERS
<どんなに「内面の美」を含めた「総合的な美しさ」を強調しても、最終審査に残る人の中に背の低い人や太った人はいない。いつまで容姿を競って順位をつけるのか?>
今年のミス日本コンテストで、椎野カロリーナさんがグランプリに選ばれて話題となった。
彼女はウクライナ人の両親の元に生まれたので、いわゆる「ハーフ」ではない。見た目は日本人に見えないが、5歳から日本で暮らしてきたので当然日本語はネイティブで、日本国籍も得ている。SNSでは受賞を喜ぶ声の一方で、日本人らしくないなどと攻撃する投稿も見られた。
私も日本国籍を取得しており、いわゆる日本人には見えない日本人だ。私と同じようなマイノリティーの日本人がミス日本になったことは、個人的に喜ばしく思う。CNNなど海外メディアも、移民が少なく「均質的」な日本でヨーロッパにルーツを持つカロリーナさんが選ばれたことを、驚きを持って報じた。
日本の多様性を海外にアピールするには、期せずしていい機会になった。だが、このニュースを見た私の最初の感想は「ミスコンってまだやってるの?」だった。
私の生まれた国イランでは、ミスコンテスト(ミスコン、ビューティーコンテスト)は禁止である。
ウチの町のかわいい娘を選ぶ、といったお祭りの余興くらいのものはあるだろうが、大きなステージで露出度の高い衣装を着て大々的にテレビ中継もあるようなミスコンは、イラン革命後の政府下では存在しない。女性が肌や髪を必要以上に露出させるのがタブーとされているせいだ。
それに比べると、ミスコンのある国は女性が自由な社会という一般的な認識もあっただろう。出場する女性たちには、自立、自己アピール、男性より一歩下がっているのが良しとされた存在からの脱却、というイメージがあったからだ。だがそれもあくまでも過去の話だ。
日本人女性がミスコンの世界大会で上位に選ばれ、日本人のスタイルも美貌も世界基準になった、などと誇らしげにメディアが報じたのは何十年前だっただろうか。ここ最近はミスコン自体が皆の興味を引くこともなく、時折「ハーフ」がミスコン日本代表になるときなどに話題になるだけである。
だいたい、多様性という言葉があふれ、容姿や年齢や人種で型にはめることをタブーとする現代社会において、ステージで女性(男性のミスターコンテストもあるが圧倒的に女性の大会が多い)に順位を付けることが、社会で広く好意的に受け入れられているとは到底思えない。
いかに出場者がボランティアやキャリアや勉学をアピールしようとも、また最近国内外でよく見られるように、大会側が容姿だけでなく内面も含めた総合的魅力を持つ人物を選ぶとうたおうとも、同じような身長とスタイルの人ばかりが最終審査に残り、そこに背の低い人も太った人も、性別を変更した人もハンディキャップのある人も居ない時点で、その大会は時代遅れで、どことなく物悲しい。