日本人も中国人も対中ODAを誤解してきた
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日本のODAで北京に建設された中日友好病院 VISUAL CHINA GROUP/GETTY IMAGES
<40年以上続いた日本の対中国ODAが終了した。日本は戦争の贖罪のためにODAを提供していたと、中国では感謝の気持ちが薄いが、日本政府の姿勢にも問題があったと思う>
3月末、1979年から40年以上にわたって続いた日本の対中国ODA(政府開発援助)が終了した。
中国には「飲水思源(水を飲む際には井戸を掘った人を忘れるな)」という言葉があり、個人的には井戸を掘ってくれた日本のことを忘れてはならないと思う。ただ、残念ながら事はそう単純ではない。
1979年といえば、大平正芳内閣の時代。大平元首相の孫である友人の森田光一氏によると、首相は当時、娘婿で元運輸大臣の森田一に「対中ODAには戦争の償いという意味合いがあり、中国が戦争賠償を放棄する代わりに日本が経済援助をするものである。いずれ中国は経済大国となり、日本を凌駕するだろう。そうなれば日中外交は相当難しくなるよ。日本はその覚悟を持って支援しなければならない」と話したという。
大平元首相の先見の明が感じられるエピソードだ。
港や発電施設、空港、地下鉄、病院など、多くのインフラが日本の支援によって整備されていった。なかでも当時中国で話題となったのが、1984年、北京に建設された中日友好病院(写真)だ。
約165億円の資金が投じられ、一流の医療器材が導入された。医療サービスも日本式だった。先進国の医療機関のレベルの高さを目の当たりにし、中国人は皆一様に驚愕した。
ほかにも、上海の宝山製鉄所や重慶のモノレールなど、日本のODAによって造られた設備やインフラは枚挙にいとまがない。箱ものに限らず、1990年代には中国のポリオ撲滅計画に7億円相当が供与されるなど、医療援助も度々行われた。
大平元首相の予言どおり、中国は飛躍的な成長を遂げた。2010年に世界第2位の経済大国となっても、中国自身がアフリカに戦略的な開発援助を行うようになっても、日本からのODAは継続された。
それでも中国国内では、日本から支援を受けている事実が積極的に報じられなかった。中国に追い抜かれた上、感謝もされないのだから、日本側も面白くないだろう。
日本政府は対中ODAはその役割を終えたとして、そのうちの「無償資金協力」を2006年に、低利・長期でお金を貸し出す「円借款」を2007年に打ち切った。残っていた「技術支援」も今年で終わりだ。
ただ、私は中国だけでなく日本政府の姿勢にも疑問を感じていた。
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