元自衛官、米軍特殊部隊員...海外に別荘を持つ「大金持ち」からホームレスになった波乱万丈人生
「兄貴」を取材したとき、彼が保管していた40年前の自衛隊の帽子をかぶってもらった
<荒川河川敷のホームレスを取材する在日中国人ジャーナリスト趙海成氏が出会ったのは、異例の経歴を持つ「兄貴」。一時はホームレスとなり、今はホームレスの支援をしているが、かつては優秀な自衛官だったという>
※ルポ第10話:「暴力を振るわれることもある」...「兄貴」が語ったホームレス福祉の現状とは? より続く
今日の物語の主人公「兄貴」は、日本の北海道に生まれ、7人兄弟の末っ子である。以下は兄貴自身が語った、家族と彼自身の波乱万丈の物語だ。
彼の父は戦前、北海道よりもっと北の島「樺太」の国境警備隊の軍人だった。
近世以前、樺太にはアイヌ、ウィルタ、ニヴフなどの先住民が居住しており、主権国家の支配は及んでいなかった。近代以降、樺太の南に隣接する日本と、北西に隣接するロシアとが競って、両国の多くの人が樺太へ移住するようになった。
明治38年(1905年)の「日露講和条約」により、北緯50度線を境に、樺太の南半分を「カラフト」として日本が、北半分を「サハリン」としてロシアが領有することになった。当時樺太に住んでいた日本人の数は最も多い時で約40万人に上ったという。
兄貴の父は国境警備隊の小隊長として樺太で駐在する間、そこの銀行家の娘と知り合って結婚した。
第二次世界大戦後、樺太全島はソ連軍に占領された(現在はロシア領)。
父が勤務している国境警備隊全員が、すべての武器や軍服を捨て、ソ連軍が入る直前に民間人と一緒に樺太から引き揚げるよう上司から命じられた。輸送中、3隻の船がソ連軍の潜水艦からの攻撃を受け、1700人以上が犠牲となった。
兄貴の両親が乗っていた船だけが幸運にも難を逃れ、北海道に着いた。
その後は庶民として戦後の辛い日々を過ごした。夫婦の間には10年の間で息子2人、娘5人が生まれた。その末っ子が今日の主役「兄貴」である。