元福島原発作業員、起業家、ピカチュウ姿のボランティア...戦火のウクライナで生き抜く日本人たちの実話
JAPANESE IN UKRAINE
雇用を増やすため起業
2回目にウクライナを訪れた22年8月、東京都出身、33歳の伊藤翔さんとリビウで会った。彼とは最初に訪問した4月の時点から連絡を取り合っており、8月に飲食店をオープンするというので訪ねたのだ。
開戦当時、ジョージアに住んでいた伊藤さんは、侵攻開始4日後にはポーランドのワルシャワに行き、道路事情も分からないなか、人や物資を乗せることを想定して四輪駆動車を購入。その間、SNSで現地の情報を収集し、ワルシャワ在住でサポートを申し出てくれたジョージア人と車でウクライナへと向かった。
リビウで避難民のニーズを把握した後、一度ポーランドに戻り、ウクライナでは手に入らなくなった防寒具を大量に購入して再入国。ホテルを手配して子供やお年寄りを優先して滞在させ、日本への避難を希望するウクライナ人のビザ申請、保証人探し、航空券の手配、日本での滞在費の工面などをサポートした。
もともとは自己資金を使い切ったらジョージアに戻るつもりだった。しかし、多くの人と知り合い、彼らを置いて帰る気にはなれず、ただの支援ではなく雇用を増やすためにウクライナで起業することを決めた。
伊藤さんはリビウなどでおにぎり屋や抹茶カフェなど飲食店を数店舗経営しているが、多くの人たちに助けられていると感じる。新店舗でトラブルがあった時には、ポーランドにいる日本人の友人が飛んできて手伝ってくれた。「ウクライナに助けに来たつもりが、友人にいつも助けられています」と、伊藤さんは言う。