【現地ルポ】「生き残りをかけた冬」...砲撃と酷寒を耐え忍ぶウクライナ最前線の生活
SURVIVING THE WINTER
ロシア軍の砲撃を受けた病院。生後2日の新生児が犠牲になった(11月24日、ザポリッジャ州ブリャンスク) TAKASHI OZAKI
<数百万人の命を脅かす人道危機が、ロシア軍にインフラを破壊された冬のウクライナに近づいている>
ロシア軍の占領地から5キロほど離れた市街地で11月8日11時52分、乾いた重低音が交錯した。音の正体は着弾したロシア軍のミサイルと、それを迎え撃つウクライナ軍のミサイルだ。
「そこを曲がって......伏せろ!」
支援物資を積み込んだワゴン車の中で怒号が響いた。叫んだのは前線の町に残る人々に食料やストーブを届けているボランティア団体のメンバー、マキシム(45)だ。アゾフ海に面する港町、ドネツク州マリウポリでリサイクルショップの店主をしていたが今年3月、ロシア軍に包囲された故郷から家族4人で脱出した。たどり着いたのは隣接するザポリッジャ州の州都ザポリッジャ。そこで空き倉庫を借りて、マリウポリの仲間と共に人道支援活動を始めた。
「ここにいるしかない。タカシ、伏せて」。車を飛び降りて筆者の隣で身を横たえたのは、ワゴン車を運転していたアルシニー(41)。社員250人ほどの建設会社を仕切っていた彼は、月収5000ドル超のリッチマンだった。携帯電話には家族と世界中を旅したときの写真が残っている。彼の会社はロシア軍の占領地内にあり、近づくこともできない。妻と子供たちをドイツに避難させ、前線に通う毎日だ。
筆者を含め5人のボランティアを乗せた車が砲撃を受けた町はザポリッジャ州のグレイポーレ。地名に意味を付すことが多いウクライナで、Гуляйполе(グレイポーレ)は「野原を散歩する」という意味を持つ。佐賀県とほぼ同じ2500平方キロもの広さがあるグレイポーレ地区には、小麦やヒマワリなどの畑を縫うように東西南北へ延びる幹線道路が走っている。のどかな名を持つウクライナ南東部の要衝は開戦以来、戦争の最前線になった。
この日、ボランティアのメンバーはグレイポーレの中心部にある住宅街を巡っていた。連日の砲撃でインフラ施設の多くは破壊され、水も電気もガスも途絶えていた。水については行政による給水車での配給や近くを流れるガイチュール川の水でしのいできた。
しかし、氷点下20度もの厳しい冬が予想されるウクライナで、暖房対策は死活問題だ。人口1万3000人だったグレイポーレに今も残るのは、避難する体力や経済力に乏しい高齢者を中心とした約2300人。彼らに薪ストーブやガスボンベ式のヒーターを届け、設置するのがボランティアの任務だった。
この団体がザポリッジャの工場に特注したストーブは1つ50ドル、ガスボンベ式ヒーターは1セット200ドル。国外からも広く寄付を募り、各100個ほどを無料配布してきた。