【現地ルポ】「生き残りをかけた冬」...砲撃と酷寒を耐え忍ぶウクライナ最前線の生活
SURVIVING THE WINTER
ルスランはスマートフォンに届いた位置情報を確認し、人道支援の車が向かう住宅地へ急いだ。この日、グレイポーレにやって来たのはウクライナ西部の街、ルーツクにあるキリスト教関連の団体だった。パトカーを降りると、情報を聞きつけた住民30人ほどが集まっていた。周辺にはロシア軍の砲撃で破壊された民家が多く、路上にはねじ曲がったブリキの板が散乱していた。ミサイルが直撃した歩道はアスファルトがめくれ上がり、大きな穴になっている。
ルーツクから来たボランティアの男性たちがジャガイモや缶詰、防寒具などの支援物資を運び出す。万が一、このタイミングで砲撃を受けたなら犠牲は甚大だ。昨日も近くの民家にミサイルが着弾していた。ルスランは無線機を身に着け、後輩と2人で警戒に当たった。
時折、「ドーン、ドーン」とウクライナ軍が発射する砲弾の音が聞こえる。現場ではひたすら耳をそばだて、敵が放つミサイルの音を聞き逃さないよう集中する。「物資を受け取ったら、早く戻って」と住民に帰宅を促すルスランたち機動隊員。この日、3カ所で行われた配給作業の監視を無事に終えた。
「ここはロシア軍の陣地まで1.5キロほどしかない。これ以上の滞在は危険だ」。ルスランはそう言い、パトカーのアクセルを踏み込もうとした。ところが、砲撃で穴だらけになった道で車はスローダウン。そのままエンジンは止まってしまった。
「なにせ50年も前に造られたソビエト製のラーダだからな」と嘆くルスラン。ラーダとは旧ソ連が1966年に設立した自動車会社アフトバスの国外向けブランドだ。構造がシンプルなため「壊れやすいが修理も容易」と言われている。ウクライナのパトカーといえば専らルノーの最新型SUVだが、田舎町のグレイポーレでそれを見かけることはない。
立ち往生して約5分、仲間が助けにやって来た。ボンネットを開けてバッテリーの周辺をいじると、程なくエンジンは息を吹き返した。
医療施設攻撃は700件以上
本部に戻るとストーブ用の薪を作るため、職員総出で丸太切りが行われていた。住民同様、警察署のインフラもギリギリの状態だ。蛇口をひねっても水は出ない。トイレも原始的なスタイルだ。女性警官のナタリーは「洗濯もできないから、制服が臭くて大変」とおどけてみせた。