ミャンマー拘束の久保田氏、入管法違反で禁固3年追加 焦点の解放時期は?
なぜ扇動罪と電子取引法違反容疑だけが軍事法廷で審理されたのかについても詳細は不明だが、久保田氏が逮捕されたヤンゴン市内南ダゴン郡には7月30日当時「戒厳令」が軍政によって布告されていたことも関係があるとの見方もでている。
首都ネピドーの刑務所内の特別法廷で審理が続く民主政府の実質的指導者だったアウン・サン・スー・チー氏の裁判では、10月の時点ですでに10件以上の容疑で判決が言い渡され、その刑期は合計され、これまでに「禁固26年」と報道されており、スー・チー氏の場合は刑期が加算されている。
その背景にはミン・アウン・フライン国軍司令官率いる軍政がスー・チー氏の政治生命を完膚なきまでに奪うことを意図しており、できる限り長期の禁固で拘束することを狙っているためとの見方が有力だ。
日本からの度重なる早期釈放要求
久保田氏同様に反軍政デモを取材中だった日本人フリージャーナリスト北角祐樹氏は、2021年4月18日に治安当局により逮捕・訴追を受けた。だが日本から訪れた民間人や元政治家などによる「早期釈放要求」が受け入れられたためか、逮捕後約1カ月の5月14日に釈放され、国外退去処分で無事に日本に帰国している。
今回の久保田氏の場合、入管法違反に扇動罪、電気通信法の容疑でも訴追されたこともあり、逮捕からすでに約2カ月半が経過。北角氏に比べると拘束が長期間している。
この間日本からは自民党の渡辺博道・元復興大臣が8月11日にミャンマーを訪問し首都ネピドーで軍政トップのミン・アウン・フライン国軍司令官と会談して久保田氏の早期釈放を求めている。
渡辺氏に対しミン・アウン・フライン国軍司令官は「久保田氏を近く釈放する。日時は追って連絡する」と応え、久保田氏の早期釈放が期待されたが現実とはならなかった経緯がある。
今回の入管法違反での禁固3年が単純加算方式であれば久保氏の刑期は合計13年になり、軍事法廷での「同時服役が可能で長期刑を採用する」との解釈に基づけば刑期の合計は禁固10年になる。どちらの方式が久保田氏のケースに適用されるのかは現段階では確定していない。
いずれにしろ久保田氏がこのまま禁固刑を刑務所内で受刑するのか、軍政が政治的配慮で釈放して国外退去処分に付すのか、今後の出方が注目されている。
[執筆者]
大塚智彦(フリージャーナリスト)
1957年東京生まれ。国学院大学文学部史学科卒、米ジョージワシントン大学大学院宗教学科中退。1984年毎日新聞社入社、長野支局、東京外信部防衛庁担当などを経てジャカルタ支局長。2000年産経新聞社入社、シンガポール支局長、社会部防衛省担当などを歴任。2014年からPan Asia News所属のフリーランス記者として東南アジアをフィールドに取材活動を続ける。著書に「アジアの中の自衛隊」(東洋経済新報社)、「民主国家への道、ジャカルタ報道2000日」(小学館)など