習近平の統治下で「中国は弱体化した」、なぜ続投が可能なのか
XI IS WHAT YOU SEE
習は中等教育を修了していない。1966年に文化大革命が始まった時は13歳、父親が失脚していたこともあり、北京で紅衛兵の造反活動に参加した。
初期の紅衛兵は毛寄りの「太子党」と呼ばれる党高級幹部の子弟ばかりで成り立っていた。幹部たちは迫り来る政治的大混乱について内部情報を入手し有利な側につこうとした。「毛主席に反対する者は誰であれ打ち砕く」という意味の紅衛兵のスローガンは強烈なインパクトを残した。
習の過激な言葉遣いにはほかにも由来があるだろう。1930年代、父親で陝西省生まれの習仲勲(シー・チョンシュン)が陝西省や甘粛省などの一帯に革命根拠地となる「陝甘辺ソビエト政府」を樹立。
その軍事部門のトップは共産党の英雄だった劉志丹(リウ・チータン)で、マフィアのような秘密結社「哥老会(コーラオホイ)」に所属していた。何世紀にも及ぶ歴史を持ち、中国北部・中部で活動していたこの結社から、毛は重点的に人材を集め紅軍の土台を築いた。
1949年の中華人民共和国建設以降、結社のメンバーは総じて厚遇され、1950年代初めの土地改革で地主階級を容赦なく抹殺する人間が必要になると多くが共産党に入党した。その後、毛は都市部の秩序回復のため紅衛兵ら2000万人の若者を農村部に「下放」。
習は16歳で陝西省の農村に送られ、そこで人格形成期の最も重要な7年間を過ごした。父親と過ごした子供時代と合わせて、秘密結社流の言葉遣いなどを学ぶ機会が豊富にあったのだ。
1960年代後半の中国農村部は、3000万人が死亡した人類史上最悪の飢饉に見舞われ荒廃していた。そこで、都市から送られた若者たちは生活のために懸命に働いた。
彼らが経験した集団生活は筆舌に尽くし難い苦難と個人弾圧の1つだ。飢えないために、後には都市部に戻るために身を売ることも珍しくなかった。
過酷な体験は、生き延びた者に非情で狡猾な政治スキルを与え、償いを求める執念をかきたてた。習はそうした時代の申し子なのだ。
欧米では習の敗北と、江・共青団派からの「改革派」指導者の誕生を望む声が多い。だが1989年の天安門事件を招いたのは最大の「改革派」鄧だとの指摘もある。
実際、中国共産党の欧米での狡猾な浸透工作は、習のはるか以前、饒舌な江や紳士的な胡・温の時代に始まっていた。習については見てのとおり。彼は実は中国を弱体化させている。
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