ゴルバチョフはウクライナの独立に反対し、クリミア併合を支持した
How Mikhail Gorbachev Resisted Before Accepting Ukraine Independence
1985年にジュネーブで行われた米ソ首脳会談は冷戦終結への転換点となったが(ゴルバチョフ<左>とレーガン元米大統領) REUTERS
<外交では西側に近づき、国内では改革を進めたゴルバチョフだが、ソ連邦の崩壊は誤算だった。なかでもウクライナの独立だけはあってはならないと思っていたという>
旧ソ連最後の指導者ミハイル・ゴルバチョフの生前の功績がたたえられるなか、ウクライナに対するその矛盾した姿勢にも注目が集まっている。ゴルバチョフはウクライナの独立をしぶしぶ受け入れたが、後年その判断は「誤り」だったと述べていた。
8月30日に91歳で死去したゴルバチョフは東西冷戦を終結に導いた功績で知られ、訃報をきっかけにその政治的レガシーを見直す動きが広がっている。長年ロシアの支配下にあったウクライナが1991年に独立を宣言したとき、ゴルバチョフはソ連の指導者だった。「帝国の復活」を目指すロシアがウクライナを再び支配下に置こうとしている今、ウクライナのソ連邦からの離脱に彼がどう対応したかが改めて問われている。
ゴルバチョフはソ連共産党の書記長として一連の改革を進め、ソ連の最初にして最後の大統領を務めた。西側諸国との関係改善に取り組み、国内では政治的にも経済的にも中央政府の統制を緩めたが、結果的にはその政策がソ連崩壊に拍車をかけることになった。
ウクライナ独立は「自殺に等しい」
BBCの安全保障担当記者フランク・ガードナーはツイッターで「旧ソ連の指導者ミハイル・ゴルバチョフが91歳で亡くなったとの報に、その功績が改めて思い起こされる」と、哀悼の意を述べた。「彼の指導下でソ連が崩壊し、多くの自由な独立国が生まれた。ウクライナもその1国だ。1987年に私がモスクワを訪れたときには、彼が主導したペレストロイカ(改革)で既にロシアは変わりつつあった」
ボリス・ジョンソン英首相もゴルバチョフの功績をたたえ、「ソ連社会の開放を目指すそのたゆまざる献身は、今もわれわれ全ての手本である」とツイートした。
その一方で、ソ連崩壊はゴルバチョフの本意ではなく、とりわけウクライナの連邦離脱には最後まで抵抗し、ウクライナの人々の意思に逆らってまで止めようとした、とも指摘されている。
実際、2016年のインタビューでゴルバチョフは、改革の後は、生まれ変わった連邦を維持するつもりだったと述べている。
英王立統合軍事研究所の研究員サムエル・ラマニによると、ゴルバチョフは当時のジョージ・ブッシュ(父)米大統領にウクライナの独立要求は「自殺に等しいナショナリズム」だと警告したという。ブッシュはそれを受けて、ウクライナの首都キーウ(キエフ)で1991年に行った演説で、ゴルバチョフの改革をたたえ、「自由すなわち独立ではない」とウクライナの人々に釘を刺した。