ゴルバチョフはウクライナの独立に反対し、クリミア併合を支持した
How Mikhail Gorbachev Resisted Before Accepting Ukraine Independence
「ゴルバチョフは最終的にウクライナの独立を受け入れたが、ロシアとウクライナが密接な関係を保ち、地域的な枠組みを通じて統合を維持することを望んでいた」と、ラマニはツイッターで述べている。
80年代にソ連が超大国の地位から転落し始めると、連邦を構成する共和国は次々に自治権の拡大を要求。ゴルバチョフは民主化された連邦にとどまるよう共和国の指導者に訴えた。なかでも重視したのがソ連最大の共和国だったウクライナを引き止めることだ。「ウクライナ抜きの連邦など想像できない」と、彼は1991年10月に米紙ワシントン・ポストに語っている。
必死の訴えの甲斐もなく、ウクライナは同年12月、独立の是非を問う住民投票を実施。圧倒的多数の支持によりソ連邦からの独立を宣言した。
「昨夜、最悪の帝国として世界史にその名を刻むであろう連邦が終焉を迎えた」と、ウクライナの作家で国会議員でもあったウォロディミル・ヤボリフスキーは住民投票の翌日にロセンゼルス・タイムズに述べた。
連邦維持に執念を燃やすゴルバチョフは、住民投票の結果を軽視し、ウクライナには改革で生まれ変わった連邦に再加盟する道が開かれていると主張したと、同紙は伝えている。
ウクライナは入国禁止に
「ソ連崩壊はゴルバチョフの考えではなく、望みでもなかったことは明らかで、最終的に負けを認めて受け入れざるを得なかっただけだ」と、BBCのウクライナ駐在記者のミロスラワ・ペスタは断じている。「ロシア人の大多数が彼を嫌っているのはそのためだ。最近まで彼はロシアの熱烈な擁護者だったが、ウクライナ戦争で宗旨替えし(ロシアの侵攻に批判的な立場をとった)」
1991年12月の住民投票後も、モスクワはクリミア半島の帰属については問題が残っていると主張した。クリミアは第2次世界大戦後にソ連当局によってウクライナ共和国の一部とされた経緯があるからだ。
ゴルバチョフは2013年にBBCに、ソ連崩壊は「クーデター」によるもので、「犯罪」にほかならないと語った。
さらに2014年にロシアが武力でクリミアを併合した際には、国際社会の激しい非難にもかかわらず、ゴルバチョフはこの動きを支持した。
「クリミアはソ連の法律に基づいて、ウクライナに編入された。つまり住民の意見を聞かずに、(共産党の)法律でウクライナの一部になったのだが、今回(住民投票が実施されて)住民の意思でこの過ちが正された」──ゴルバチョフはそうモスクワ・タイムズに述べたのだ。
米ロの対話継続を訴えていたゴルバチョフだが、こうした発言により、2016年にウクライナ政府から5年間の入国禁止にされた。