最新記事

東南アジア

タイ憲法裁がプラユット首相の職務停止 任期の解釈めぐり対立、政変や王室批判再燃の可能性も

2022年8月30日(火)19時30分
大塚智彦

復権目指すタクシン元首相

今回の憲法裁の決定を間違いなく歓迎しているのがタクシン元首相とインラック元首相だ。

タクシン元首相は2001年に首相に就任し政権を掌握した。しかし地盤であるタイ北部の利権拡大に専心するあまり反タクシン運動が盛り上がり2006年に辞任に追い込まれ、海外に脱出した。

その後2008年には土地取引に関して欠席裁判で有罪判決を受け、タイに帰国すれば逮捕されることからアラブ首長国連邦やカンボジアなどを転々として事実上の海外逃亡生活を続けている。

また妹のインラック元首相も2011年に総選挙で「タイ貢献党」の首相候補として勝利して首相に就任した。しかし「縁者登用に不当関与した」として2014年に失職。兄と共にアラブ首長国連邦や英国で生活している。

タクシン元首相を支持する野党「タイ貢献党」はタイ東北部の農村地帯を中心に幅広い支持を依然として維持しており、下院では133議席と単独政党としては最大の勢力を維持している。軍政支持の与党「国民国家の力党」は単独では100議席しかなく、他党と連立することで辛うじて下院の過半数を占めている。

2022年5月に実施された首都バンコクの知事選でもタクシン支持の「タイ貢献党」の候補者が軍政支持の「国家国民の力党」の候補者に大差をつけて圧勝した。

下院ではこれまでに何度となく「プラユット首相の不信任案」が野党によって提出されているが、いずれも与党の反対で否決されている。

このように現在の議会バランスではプラユット政権支持が辛うじて過半数を占めているものの、地方によってはその信任は危うくなっているのが現実だ。

さらに今後政局が不安定になると連立政権から離脱する政党が出ないとも限らず、そうなれば議会でのプラユット政権優勢は揺らぐことになる。

こうした事態に海外にいるタクシン元首相がどこまで野党側に指示を送っているかは不明だが、今回の事態を政権交代そして自身の復権のチャンスととらえていることだけは間違いないといえるだろう。

機能不全に陥っている国王

タイは立権君主制国家だが他国と異なるのは君主としての国王の存在とその機能だ。正確には「存在だった」であり、2016年に逝去したプミポン国王は流血事態やクーデターの仲裁に動くなど「タイ最後の良心の砦」としての機能を果たして国民の絶大な信任を得てきた。

しかし後継のワチラロンコン国王は国外在住が長く、タイ政治への関心も薄いとされており国民の人望も信任も前国王に比べると希薄なのが現状という。

それだけに今後政治を巡って大きな混乱が生じても国王による介入、英断というタイ特有の「政治的解決」は期待できそうになく、混乱が拡大して2020年のようにバンコク市内などで反プラユットを掲げた学生や若者などによる集会やデモ、さらに「王室改革」を唱えるデモなどが頻発して治安が不安定になることも十分予想されている。


otsuka-profile.jpg[執筆者]
大塚智彦(フリージャーナリスト)
1957年東京生まれ。国学院大学文学部史学科卒、米ジョージワシントン大学大学院宗教学科中退。1984年毎日新聞社入社、長野支局、東京外信部防衛庁担当などを経てジャカルタ支局長。2000年産経新聞社入社、シンガポール支局長、社会部防衛省担当などを歴任。2014年からPan Asia News所属のフリーランス記者として東南アジアをフィールドに取材活動を続ける。著書に「アジアの中の自衛隊」(東洋経済新報社)、「民主国家への道、ジャカルタ報道2000日」(小学館)など

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

アングル:揺らぐFRBの世界経済安定化機能、トラン

ワールド

米副大統領がローマ教皇称賛 政治的相違も「偉大な司

ビジネス

日銀、追加利上げ先送りの可能性 米関税巡る不透明感

ビジネス

仏ケリング、第1四半期は14%減収 グッチが予想以
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:独占取材 カンボジア国際詐欺
特集:独占取材 カンボジア国際詐欺
2025年4月29日号(4/22発売)

タイ・ミャンマーでの大摘発を経て焦点はカンボジアへ。政府と癒着した犯罪の巣窟に日本人の影

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    教皇死去を喜ぶトランプ派議員「神の手が悪を打ち負かした」の真意
  • 2
    トランプ政権はナチスと類似?――「独裁者はまず大学を攻撃する」エール大の著名教授が国外脱出を決めた理由
  • 3
    【クイズ】「地球の肺」と呼ばれる場所はどこ?
  • 4
    「スケールが違う」天の川にそっくりな銀河、宇宙初…
  • 5
    日本の10代女子の多くが「子どもは欲しくない」と考…
  • 6
    アメリカは「極悪非道の泥棒国家」と大炎上...トラン…
  • 7
    【クイズ】世界で最もヒットした「日本のアニメ映画…
  • 8
    「生はちみつ」と「純粋はちみつ」は何が違うのか?.…
  • 9
    トランプの中国叩きは必ず行き詰まる...中国が握る半…
  • 10
    ウクライナ停戦交渉で欧州諸国が「譲れぬ一線」をア…
  • 1
    【クイズ】世界で最も「半導体の工場」が多い国どこ? 1位は意外にも...!?
  • 2
    「生はちみつ」と「純粋はちみつ」は何が違うのか?...「偽スーパーフード」に専門家が警鐘
  • 3
    しゃがんだ瞬間...「えっ全部見えてる?」ジムで遭遇した「透けレギンス」投稿にネット騒然
  • 4
    「スケールが違う」天の川にそっくりな銀河、宇宙初…
  • 5
    【渡航注意】今のアメリカでうっかり捕まれば、裁判…
  • 6
    【クイズ】「地球の肺」と呼ばれる場所はどこ?
  • 7
    女性職員を毎日「ランチに誘う」...90歳の男性ボラン…
  • 8
    【クイズ】売上高が世界1位の「半導体ベンダー」はど…
  • 9
    「100歳まで食・酒を楽しもう」肝機能が復活! 脂肪…
  • 10
    自宅の天井から「謎の物体」が...「これは何?」と投…
  • 1
    【話題の写真】高速列車で前席のカップルが「最悪の行為」に及ぶ...インド人男性の撮影した「衝撃写真」にネット震撼【画像】
  • 2
    健康寿命を伸ばすカギは「人体最大の器官」にあった...糖尿病を予防し、がんと闘う効果にも期待が
  • 3
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?
  • 4
    【心が疲れたとき】メンタルが一瞬で “最…
  • 5
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
  • 6
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
  • 7
    間食はなぜ「ナッツ一択」なのか?...がん・心疾患・抜…
  • 8
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大…
  • 9
    北朝鮮兵の親たち、息子の「ロシア送り」を阻止する…
  • 10
    【クイズ】世界で最も「半導体の工場」が多い国どこ…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中