タイ憲法裁がプラユット首相の職務停止 任期の解釈めぐり対立、政変や王室批判再燃の可能性も
復権目指すタクシン元首相
今回の憲法裁の決定を間違いなく歓迎しているのがタクシン元首相とインラック元首相だ。
タクシン元首相は2001年に首相に就任し政権を掌握した。しかし地盤であるタイ北部の利権拡大に専心するあまり反タクシン運動が盛り上がり2006年に辞任に追い込まれ、海外に脱出した。
その後2008年には土地取引に関して欠席裁判で有罪判決を受け、タイに帰国すれば逮捕されることからアラブ首長国連邦やカンボジアなどを転々として事実上の海外逃亡生活を続けている。
また妹のインラック元首相も2011年に総選挙で「タイ貢献党」の首相候補として勝利して首相に就任した。しかし「縁者登用に不当関与した」として2014年に失職。兄と共にアラブ首長国連邦や英国で生活している。
タクシン元首相を支持する野党「タイ貢献党」はタイ東北部の農村地帯を中心に幅広い支持を依然として維持しており、下院では133議席と単独政党としては最大の勢力を維持している。軍政支持の与党「国民国家の力党」は単独では100議席しかなく、他党と連立することで辛うじて下院の過半数を占めている。
2022年5月に実施された首都バンコクの知事選でもタクシン支持の「タイ貢献党」の候補者が軍政支持の「国家国民の力党」の候補者に大差をつけて圧勝した。
下院ではこれまでに何度となく「プラユット首相の不信任案」が野党によって提出されているが、いずれも与党の反対で否決されている。
このように現在の議会バランスではプラユット政権支持が辛うじて過半数を占めているものの、地方によってはその信任は危うくなっているのが現実だ。
さらに今後政局が不安定になると連立政権から離脱する政党が出ないとも限らず、そうなれば議会でのプラユット政権優勢は揺らぐことになる。
こうした事態に海外にいるタクシン元首相がどこまで野党側に指示を送っているかは不明だが、今回の事態を政権交代そして自身の復権のチャンスととらえていることだけは間違いないといえるだろう。
機能不全に陥っている国王
タイは立権君主制国家だが他国と異なるのは君主としての国王の存在とその機能だ。正確には「存在だった」であり、2016年に逝去したプミポン国王は流血事態やクーデターの仲裁に動くなど「タイ最後の良心の砦」としての機能を果たして国民の絶大な信任を得てきた。
しかし後継のワチラロンコン国王は国外在住が長く、タイ政治への関心も薄いとされており国民の人望も信任も前国王に比べると希薄なのが現状という。
それだけに今後政治を巡って大きな混乱が生じても国王による介入、英断というタイ特有の「政治的解決」は期待できそうになく、混乱が拡大して2020年のようにバンコク市内などで反プラユットを掲げた学生や若者などによる集会やデモ、さらに「王室改革」を唱えるデモなどが頻発して治安が不安定になることも十分予想されている。
[執筆者]
大塚智彦(フリージャーナリスト)
1957年東京生まれ。国学院大学文学部史学科卒、米ジョージワシントン大学大学院宗教学科中退。1984年毎日新聞社入社、長野支局、東京外信部防衛庁担当などを経てジャカルタ支局長。2000年産経新聞社入社、シンガポール支局長、社会部防衛省担当などを歴任。2014年からPan Asia News所属のフリーランス記者として東南アジアをフィールドに取材活動を続ける。著書に「アジアの中の自衛隊」(東洋経済新報社)、「民主国家への道、ジャカルタ報道2000日」(小学館)など