インドに移住したJKが軽妙に綴る「カースト」と「肌」の重い現実
制服のスタッフたちは、みなうつむきがちで床のあたりばかりに視線があるのに対して、ワイシャツのスタッフたちは、胸を張り英語で外国人の客と会話をしている。その明らかな差に「カースト」ということばが不意に浮かんだ。自分が住むことになる前から、インドといえばと言われて思い浮かべていた、数少ないもののひとつだ。「インドのカースト制度は......」と社会科の授業で先生たちはいつも否定的なトーンで話していた。いや、ちがう、と危ない響きをまとったそのことばをかき消そうとする。日本だって、「空港職員」と「清掃員」は別じゃん。そんなすぐに目に見えるものじゃないはず。だけど、制服を着た彼らが、ワイシャツの彼らと比べてみな肌の色が暗いように感じるのは、気のせいだろうか......。(20~21ページより)
金持ちインド人の家のプール、スラムでのボランティア活動
だが気のせいではなかったようで、著者はインターナショナル・スクールに入学してからも肌の色の問題に直面する。例えば学校の新入り同士で、すぐに仲よくなったラトゥナという名の女の子と一緒に、他の友人(豪華なプールがある「金持ちインド人」)の家に遊びに行ったときにも、ラトゥナから肌の色に関する思いを聞くことになる。
プールサイドに、ラトゥナと座りながら何気ない会話をしていた。真夏なのでふたりともショーパン、水に濡れないよう裸足だ。プールに足を伸ばしながら、彼女が不意に言った。
「わたし、自分の脚があんまり好きじゃないんだよね」
「え、なんで?」
「だって......」
わずかにためらいの間を置いたあとで、ラトゥナは続けた。
「ほら、だって暗いじゃん、肌。なんか脚出してるの落ち着かない感じっていうか、居心地悪いっていうか......」
「......え......」
わたしはことばに詰まってしまった。
「そんなことないよ」というのは、ちがう。なぜなら、そう言ったところで彼女自身の肌の色への認識が変わるわけはないから。それに、ラトゥナの肌が客観的に見て「暗い色」だというのは事実だ。それを否定するのは、嘘っぽくて仕方ない。かと言って「気にすることないよ!」なんて軽く言えるだろうか。わざとらしい励ましに聞こえるだけだし、そもそも「肌の色が濃いこと」は励まされるべきことではない。悪いことをしたわけではないのだから。そんな胡散臭い明るさなんて、余計なむち打ちになりかねない。なにより、「肌が黒くならないように」と今日も日焼け止めを全身に塗りたくってきたわたしの立場では、どんなことばをかけても軽薄に聞こえてしまう気がした。口に出さずに、ぐるぐると考えていることが申し訳なかった。(44〜45ページより)