日本の大学教員だった父を突然、中国当局に拘束されて
連絡が取れないまま、65歳で定年退職
しかしながら、父の解放に向けて、公的な支援を得るのは非常に難しいのが現状だ。出来ることなら、父が勤めていた北海道教育大学が父の拘束の件に関して積極的に声を上げて欲しかったが、それは叶わなかった。2020年3月に初めて中国当局が父の拘束を公にして以降、北海道教育大学に対して、私は学長に是非直接お会いして父の件について相談したいとお願いしていたが、大学からは断られた。
その後、今年3月31日をもって、65歳であった父は大学と連絡が全くとれないまま、定年退職となってしまった。その時に大学からは、父は今後大学に在籍しなくなるので、解放へ向けて何か支援するというのは難しい、という説明を受けた。自学の教員を守ろうとする姿勢を、大学は一切見せてくれなかった。
また、日本政府へ今回の件に対して支援を願うこともとても厳しい。父は日本の永住権を持つが、日本国籍ではないからだ。中国国籍である父が、中国によって身柄を拘束されてしまっている以上、日本政府が働きかけることが非常に難しいということは私も重々承知している。ただし今回のケースで、中国政府は父が日本の情報機関の要求に基づき諜報活動をしたと主張している。父が日本のスパイであると明言しているのである。
それならば、これが事実かどうなのかは日本政府が一番良く分かっているはずだ。父が日本の情報機関と何ら関わりがないのであれば、日本政府からそうはっきりと公言してほしい。日本政府が、父は日本のスパイではないと否定してくれれば父の容疑は晴れるはずだ。
父が拘束された本当の理由は全く分からない。何故父が中国当局から目をつけられてしまったのか、強いて挙げるとすれば以下の理由が考えられる。まず一つは、1989年に天安門事件が起きた際、当時一橋大学の学生だった父が事件の抗議活動を行ったことだ。父が拘束された2019年5月は、ちょうど天安門事件の30周年を迎えようとしていた時期だった。
また、父の専門だった東アジア外交史、特に台湾に関するこれまでの研究内容が中国当局の反発を招いたという見方もある。さらには、中国当局から何らかの協力を求められたが、父がそれを拒否したために逆にスパイ容疑をかけられたということも考えられる。父のことを快く思わない何者かが父を中国当局へ密告したという可能性もある。2014年にいわゆる反スパイ法を施行して以来、中国政府はスパイ行為の通報者には報奨金を出すなどして、自国民に密告を奨励している。
以上、父が拘束された理由として考えられるものをいくつか挙げてみたが、結局はどれも推測の域を出ない。中国当局が明らかにしない限り、真の理由は闇のままだ。