【手記】ミャンマーで拘束されたジャーナリストが見た、監獄の過酷な現実
My Days in Prison
解放後、身ぶりを交え自らの体験を報道陣に話す筆者(5月14日、成田空港) AP/AFLO
<「フェイクニュース」を流した罪で収監された日本人記者が、政治犯たちと過ごしたインセイン刑務所での26日間>
自宅のドアをノックする音が激しくなり、意を決して開けると、「ポリス」という文字が目に入った――。4月18日、ミャンマー最大都市ヤンゴンの自宅にいた筆者は、突然家宅捜索を受けて逮捕された。フェイクニュースを流した罪というぬれ衣で、26日間にわたりインセイン刑務所に収監されることになった経験を紹介したい。
拘束されたのは午後7時半頃。私服の軍人に率いられた、警察官や入国管理局の職員ら7~8人が自宅にやって来て家宅捜索を始めた。何人かは防弾チョッキを着て、ライフルのような銃を持っていた。令状はおろか、何の捜査なのかの説明もない。そしてパソコンやカメラ、携帯電話、書類など段ボール2箱分を押収。筆者もそのまま連行された。
階段を下りてアパートの外に出ると、警察のトラックが止まっていた。私は両手を上げてゆっくり周囲のバルコニーを見渡し、自分が逮捕されていることが近隣住民に分かるようにアピールした。私が捕まったという情報が流れれば、誰かが支援に動いてくれるだろう。そう考えての行動だったが、そのとおり1時間もしないうちに「日本の記者が逮捕された」という情報がインターネットを駆けめぐったと、釈放後に聞いた。
インセイン刑務所に着くと、すぐに取り調べが始まった。筆者は日本大使館員と弁護士を呼ぶことを要求し、それまでは調書にサインしないと宣言した。取調官は困り、上官を呼んだ。やって来た上官は到着するや否や机を拳でドンとたたき、「外国人がこの国で好き勝手にできると思うな。俺はおまえを刑務所に送ることができるんだぞ」と叫んだ。
政治犯たちが証言する軍施設での拷問
こうした荒々しい取り調べはあったものの、肉体的な暴力や拷問を受けることはなかった。しかし、筆者が会った多くの政治犯たちいわく、収監される前に軍の施設に数日から2週間にわたって収容され、そこで厳しい尋問や拷問を受けていた。
典型的なのは目隠しをされ、後ろ手に手錠をかけられ、コンクリートの床に素足でひざまずかされるパターンだ。その体勢で尋問され、答えが気に食わなければ棒で殴られる。
尋問は2~3日間休みなく続けられ、寝る間も与えられず、気絶すれば殴られて起こされる。トイレに行かせてもらえないので、ある政治犯は失禁してしまい、それを理由にまた殴られたと話していた。取り調べる軍人はしばしば酒を飲んでいたという。