奇妙な脚色のアニメ版よりはるかに面白い、「黒人の侍」弥助の数奇な人生
The Real Story Is Fascinating
もう1つ、弥助を取り上げた重要な作品がある。遠藤周作の71年の小説『黒ん坊』だ。来栖と違って、弥助に向ける遠藤のまなざしには温かみが感じられない。遠藤はステレオタイプの黒人像を差別的に描いた欧米の作品に影響を受けていたのかもしれない。小説のタイトル自体、黒人に対する蔑称だ。
アフリカ系アメリカ人作家マーク・オールデンの74年の小説『ブラック・サムライ』の主人公は、遠藤が描くドジで混乱した弥助とは対極を成す現代のサムライだ。ただしオールデンが弥助にインスピレーションを得て、この主人公を造形したかどうかは分からない。小説の舞台は70年代で、主人公は米軍の黒人兵士。偶然に知り合った日本人の老師に武士道を教わる。
映画化もされたこの小説は、70年代前半の「ブラックスプロイテーション」と呼ばれる黒人観客向け映画と、ブラックパワー運動の影響を受けた大衆スリラーだ。主人公は痛快なアクションで白人至上主義者をたたきのめす。弥助がモデルなら、オールデンは歴史の脚注に記された黒い武士をブラックパワー運動のアイコンに仕立てたことになる。
NETFLIX
常識的な理解を超える
90年代以降、弥助はさまざまな形で日本の大衆文化に登場するようになった。2011年にアニメ化された漫画『へうげもの』や17年発売のゲームソフト『仁王』にも顔を出している。
英語で書かれた文献としては、19年刊行のトーマス・ロックリーとジェフリー・ジラードの共著『アフリカ人サムライ』が参考になる。アフリカからおそらくはインド経由でヨーロッパ、そして東アジアに向かった旅をたどり、弥助をグローバルな文脈に置いたノンフィクションだ。この本が描く弥助は十数の言語を自在に操る国際人であり、旅を通じて優れた砲術を身に付けた屈強な戦士だ。
ネットフリックス作品も「グローバルな弥助」を描いていると言えなくもない。アニメにはイエズス会士やアフリカの呪術師、果てはロシアの狼女など多様な異邦人が登場する。弥助もその1人だ。アニメでは、弥助を武士に昇格させる信長の決断は「古いしきたり」に反するとして物議を醸し、多様性を嫌う光秀は反乱を企てる。
「排外主義者と戦う弥助」という設定はなかなか面白いが、残念ながらストーリーはそこからそれて、超能力少女の咲希を中心に展開する。謎のパワーを秘めた咲希が宿命のヒロインとなり、いつの間にか弥助は彼女を助ける脇役に追いやられてしまう。
弥助の物語のはずなのに彼が脇に退く展開には納得がいかない。だが考えてみれば弥助は過去も今も、アメリカ人にも日本人にとっても、常識的な理解を超えた存在なのかもしれない。
黒いサムライは日本に来てから約400年間、人々を驚かせ、興味をそそり、魅了してきた。これからも100年、いや500年にわたってクリエーターをてこずらせ、触発し続けてほしい。