奇妙な脚色のアニメ版よりはるかに面白い、「黒人の侍」弥助の数奇な人生
The Real Story Is Fascinating
元奴隷の弥助は信長に取り立てられて武士になった実在の人物 NETFLIX
<ネットフリックス作品の主人公「黒いサムライ」は実在した人物。呪術やメカの要素を加えなくても想像力を刺激してやまない>
ネットフリックスが配信を開始したオリジナルアニメ『YASUKE-ヤスケ-』は、空想の産物の寄せ集めだ。16世紀の日本を舞台にロボット、呪術師、邪悪な宣教師、ゾンビの武士、時空を超えた怪奇な悪役などが入り乱れる。多くの血が流れ、珍妙な解釈の武士道が説かれたりもする。歴史物というより、生煮えのごった煮のような作品だ。
タイトルにもなったヤスケは戦国の世を生きた「黒いサムライ」で、実在した人物。その生涯は実に数奇で興味深い。制作総指揮のラション・トーマスと日本のアニメスタジオMAPPAが、なぜわざわざ呪術やメカの要素を加えたのか、首をかしげたくなる。
話を盛って脚色したのは苦肉の策かもしれない。弥助はこれまでも小説やアニメに登場したが、いずれも比較的乏しい史料を基に作者が想像を膨らませたものだった。
実際の弥助は1550年代に東アフリカで生まれたようだ。幼少時に誘拐され奴隷として売られたが、後に武術の訓練を受け、イエズス会のイタリア人宣教師の護衛として1579年に日本に渡った。
1581年、弥助は天下統一を目指す武将・織田信長に引き合わされた。南蛮文化好みの信長は弥助の黒い肌にいたく興味をそそられた。墨を塗ったのだろうと疑って、こすり落とさせようとしたという逸話も伝えられている。
弥助を気に入った信長は自分の従者とし、やがて屋敷と家臣を与えて正式な武士にした。「本能寺の変」で信長を裏切り、切腹させた明智光秀は、なぜか弥助を殺さず宣教師に返した。おそらくヨーロッパ勢を味方に付けようとしたのだろう。記録に残る弥助の足跡はここで途絶える。
日米の大衆文化に登場
記録は乏しいが、何人かのイエズス会士が日本見聞記で弥助に言及している。信長に仕えていた太田牛一が著した『信長公記』も弥助の存在に触れているが、好奇心旺盛で寛大な信長のイメージを際立たせるための脇役として登場する程度だ。
その後300年ほど、日本では弥助の物語はほとんど忘れられていた。現代の読者に弥助を紹介したのは、来栖良夫が著し、箕田源二郎が挿絵を手掛けた1968年刊行の児童書『くろ助』だ。
来栖は同時代のアフリカの民族解放運動に触発され、あとがきでアフリカを分割したヨーロッパ諸国の帝国主義を批判している。作中の弥助が祖国を懐かしむ気持ちは、芽生えたばかりのアフリカの民族主義と重なる(ちなみにアメリカでも弥助は児童書の登場人物として、子供たちに親しまれてきた)。