ミャンマー国軍司令官も出席したASEAN臨時首脳会議 実質成果なく、今日も軍による暴力で死者
このためインドネシア政府、ASEAN事務局はNUGの参加を断念。ミン・アウン・フライン国軍司令官の参加を最優先させた経緯がある。
24日にジャカルタに到着したミン・アウン・フライン国軍司令官は軍服を背広に着替えて「ソフトムード」を演出する一方、ジャカルタ滞在時間を約6時間に設定。参加首脳・外相の中でも最短とすることで「余計な会談、接触」を入れる余地を最初から避けたという。
議長声明と5項目合意の背景
今回の会議の成果が共同声明としてではなく、議長声明になった背景にはミャンマー側が共同声明に難色を示したとされる。議長声明という形式にし、さらにその付属文書として「5項目の合意」という形で「成果」を強調するしかなかったというASEAN側の苦渋が表れているとの見方が有力だ。
この「合意」として発表されたのは、①暴力の即時停止、②全ての勢力による建設的対話の開始、③ASEAN特使による対話仲介、④ASEANによる人道支援の提供、⑤全ての勢力と対話促進のため特使のミャンマー訪問、という5項目である。
この「5項目合意」には前段の「議長声明」に盛り込まれた「外国人を含む全ての政治犯の釈放を求める声」に関しては触れられていない。
これは会議の席でミン・アウン・フライン国軍司令官が武力の即時停止と共に「明確な回答あるいは姿勢」を示さなかったことを反映した結果といわれている。
このように面談の会議に顔を出したミン・アウン・フライン国軍司令官にそれなりに気を使った結果の「成果」となったことから、今後果たしてミャンマーでの反軍政抗議活動を続ける市民への「虐殺にも匹敵する」とされる弾圧がどう変化するのかが最大の焦点となる。
今回の会議を主導したインドネシアとしてはASEAN特使の派遣や人道支援の提供で加盟国とミャンマーの理解が得られたとして成果を強調。今後さらに積極的な関与でミャンマー問題の平和的解決を目指す「第一歩」となったとしている。
しかし、会議が開催された24日にもミャンマー国内では軍による暴力で死者がでたとの情報も流れており、軍の強権的姿勢の変化は依然として見えてこないのが実情である。
[執筆者]
大塚智彦(フリージャーナリスト)
1957年東京生まれ。国学院大学文学部史学科卒、米ジョージワシントン大学大学院宗教学科中退。1984年毎日新聞社入社、長野支局、東京外信部防衛庁担当などを経てジャカルタ支局長。2000年産経新聞社入社、シンガポール支局長、社会部防衛省担当などを歴任。2014年からPan Asia News所属のフリーランス記者として東南アジアをフィールドに取材活動を続ける。著書に「アジアの中の自衛隊」(東洋経済新報社)、「民主国家への道、ジャカルタ報道2000日」(小学館)など