「演劇・音楽」分野に蔓延する差別 クラシック界に生きる黒人が起こした行動
Why I Made an R&B Opera
大学時代の師との出会いを機にオペラに魅了された COURTESY STEVE WALLACE
<黒人の作曲家・歌手の筆者が、シェークスピア作品でR&Bオペラをつくった訳。黒人パフォーマーには何より活躍の場が必要だ>
私はヒップホップ作曲家であり、オペラ歌手でもある。出身は、クラシック音楽とは縁遠いシカゴのサウスサイド。R&Bやソウル、ジャズ、ゴスペル、ヒップホップのほうが身近な存在だったが、縁あってオペラの世界に進むことになった。
大学入学のために歌唱の実技試験を受けたときのこと。私の声質はクラシック音楽に向かない「ゴスペル的」な声だと白人教授たちは言ったが、有力な黒人教授が異を唱えて私を評価してくれた。
私はその教授の指導の下、オペラが大好きになり、自分で作曲まで始めた。賞も取って、メトロポリタン・オペラのオーディションを受けるようになった。
ところが、あるときメトロポリタンのオーディションで不可解なことが起きた。とてもうまく歌えたと思っていたのに、審査の次の段階に進んだのは、私ではなく、声がかすれていた白人歌手だった。これをきっかけに、私はオペラではなく、ほかの音楽分野に専念するようになった。
歴史上、黒人パフォーマーはとりわけ主体的に道を切り開かなくてはならなかった。映画『スウィート・スウィートバック』(1971年)を自己資金で作ったメルビン・バン・ピーブルズは、それを実践した1人だ。
黒人俳優が依頼されるのは型にはまった役ばかりという状況に辟易したピーブルズは、大手映画会社を離れてこの画期的な作品を作った。かつての「ハーレム・ルネサンス」(20年代のニューヨークで花開いた黒人文化運動)や黒人音楽中心のモータウン・レコードも、同じような覚悟で道を切り開いたに違いない。
私はヒップホップやR&Bの活動を通して創造性の大切さを学んだ。再びクラシックの世界に戻ったとき、創造性は、自分自身や有色人種の人たちがしばしば直面するジレンマを解決するための私なりの手段になった。
黒人が演じる役を増やせれば、私たちの才能が人々の目にもっと触れやすくなり、私たちの物語が語られる機会がもっと多くなるのではないかと考えたのだ。