日本学術会議問題に僕たち映画人が声を上げた理由(森達也)
Why We Have to Fight Back
47年に米議会非米活動委員会の公聴会に出席したトランボと妻クレオ Public Domain
<座して沈黙しているだけでは言論や表現の場は萎縮する一方だ。ハリウッドを狙った赤狩りの歴史を思えば、日本学術会議の任命拒否問題は人ごとではないと僕たちは知っている>
2001年10月、僕は山形市に滞在していた。この時期に開催されていた山形国際ドキュメンタリー映画祭のインターナショナル・コンペティション部門に、僕にとって2作目の映画となる『A2』が招待されたからだ。1回目の上映が終わった翌日の朝、コーヒーを飲むために立ち寄った映画祭事務局のメールボックスに、「アメリカのアフガニスタン侵攻に抗議の声を上げよう」との趣旨が書かれたチラシが入っていた。
大急ぎで作ってコピーしたらしいチラシの裏面には、世界中のドキュメンタリストが集まっている今だからこそ全員で抗議の声を上げるべきだ、とのフレーズもあった。提案者は映画祭に参加している日本の映画監督たち。何人かは知っている名前があった。そのチラシを手に、僕はホテルへと戻る道を歩いていた。顔を上げれば是枝裕和がこちらに歩いてくる。手にはやはりチラシ。立ち止まった僕に是枝は真剣な表情で、「どうしようか」と言った。
「是枝さんはどうする?」
「悩んでいる」
「僕も悩んでいる」
路上で2人はしばらく沈黙した。見送ろうと先に言ったのはどちらだったか覚えていない。とにかく僕と是枝は、結果としてこのチラシを黙殺した。その後に抗議声明は公開された。多くのフィルムメーカーたちの名前が賛同者として記載されていたけれど、僕と是枝の名前はそこにはなかった。
アメリカ同時多発テロの実行犯であるアルカイダに対しての反撃ならばともかく、アフガニスタンへの武力侵攻は明らかに意味が違う。この機に乗じて、目障りなタリバン政権を壊滅させようとの本音は明らかだ。つまりテロ対策を大義に掲げた新たな戦争。絶対に容認などできない。その思いは僕も持っているし、是枝も同じはずだ。でも直接的なアピールの声を上げることに、直感的なためらいがどうしてもあった。
僕たちは映画という間接話法で世界への思いを表現する。平和は尊い。それは前提であると同時にスローガンでもある。映画はスローガンではない。平和が尊いことを映像のモンタージュでどのように表現するか。どんなストーリーを紡ぐのか。つまりメタファー(隠喩)だ。自分はそのジャンルの端くれにいる。だからこそ直接的なアピールに対しては逡巡する。違和感をどうしても拭えない。
ネット上での賛否両論
10月3日、映画監督と脚本家の肩書を持つ井上淳一から、政権による「日本学術会議への人事介入に対する抗議声明」への賛同を打診するメールが届いた。添付されていた声明文を読んでから、僕はしばらく考え込んだ。
「この問題は、学問の自由への侵害のみに止まりません。これは、表現の自由への侵害であり、言論の自由への明確な挑戦です。(中略)今回の任命除外を放置するならば、政権による表現や言論への介入はさらに露骨になることは明らかです。もちろん映画も例外ではない」と宣言した後に声明は「私たちはこの問題を深く憂慮し、怒り、また自分たちの問題と捉え、ここに抗議の声を上げます」とある。